2010年08月12日

ぼくが溶ける

「自分は何者なのか。自分以外のなにものにもよらずに“絶対の自分”というものを定義してみよ。」そのように発語したとき、あれこれと考えて結局戻ってくるのは、「そもそもの問題を“発語したもの”が自分として最も疑わしくない。自分は“発語したもの”である。」と考えざるを得ない。さてそれでは、“発語したもの”がいなければ自分はいなかったのだろうか、それともやっぱりいたのであろうか。自分は“発語したもの”によって作られたとも考えられるし、“発語しなかった”自分がやっぱりいたのだと考えることもできる。これは自分を見る面によってどちらも正しいことに思える。そしてついには、“発語したこと”によって自分が溶解していくのがわかる。

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2010年08月11日

昆虫の知覚

葉蔭にじっと止まって越冬していた蝶が、たまたまの陽気に飛翔する。その冬の蝶が知覚しているだろうこと、そのことを想像するとぼくは広大な夢をみる気持ちになる。そして乳児のころには当たり前だったであろうその知覚に埃を積もらせて生きてきたのだと、これからもそうして生きていかざるを得ないだろうと、そのように思い直して、広大な夢をみる気持がしぼむのである。

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2010年08月08日

けむり、けむり、けむりが覆う
ひかり、ひかりを遮断して
いざなう、いざなう
呼吸を忘れた部屋
おや、そこに棲むものは

私はひかりが苦手なもので
こうした状況でなければなかなかお会いできません
でも、今棲みついたわけではございません
ずっとお慕い申しておりました
あなたにいかに楽にやり繰りしていただくか
それが私の使命でございます
何なりとお申し付けを

さてはとは思えども
軋む脊髄は、重みに耐えかねて
いぶす、いぶす
呼吸を忘れた部屋
おや、なにを蝕む

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2010年08月05日

閉じられた棲家

完全に閉じられたと観念したのなら、見るべきものだけを見ればいい。そこにはゼロが無限になり、無限がゼロになる。1がゼロになり、ゼロが1になる。そういう世界が開かれている。そういう世界でのことなのだから、ただ風と重力に任せて舞う木の葉のように自分の有り様など心もとないものだ。そこには、そうした自分を苦笑しつつ見つめる“もの”が確かに在る。

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2010年08月02日

ほっこりの心理

大人同士の会話で存在を忘れていて、「あれっ、そういえば子どもはどうしてたっけ。」と思って探すと、部屋の隅の方で一人でおとなしく遊んでいる。近づくとぷうんと臭いが。おむつを開けると案の定ほっこりと。結構よくある話だ。部屋の隅で隠れるようにしていつの間にかウンチをしている。これはどういうメカニズムによることか。心理メカニズムによるところが大きいと思えるのだが。心理メカニズムによるとしたらその心理は生のままの心と言えるのだろうか。そもそも生のままの心とはどういうことか。心理とはなかなかつかみどころのないものだ。

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2010年07月30日

白芙蓉

足裏は、ぐにゃりぐにゃり
打ち水は、ゆらりゆらり
吹く風は、ぬらりぬらり
白昼にみるゆめ、なのか
青葉に雪が、ふうわりふわり

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2010年07月28日

写し絵

彼女はよく占いをやった。はじめは興味がなかったぼくも、いつのまにか目の前でやる彼女の占いを手伝ったりするようになっていた。
彼女が墨を磨る。その墨を筆の先につけると、水に垂らした。その水面にぼくが紙を張り、水面にできた墨の複雑な模様を写し取る。紙を水面からはがして反転させて、古新聞の上に引き伸ばす。
「あっ、おおいぬよ。」
「あっ、おおぐまだ。」
彼女がつぶやくと同時にぼくもつぶやいた。今まで彼女の見立てに口を挟んだことはなかったが、つい口をついた。はじめて二人で旅行するのにどこが良いかという占いだった。
「これはおおいぬね。しっぽの伸びた感じも、耳が垂れた感じもいぬだわ。だから南の方に行くのがいいわね。」彼女はぼくが言葉を発したことに少し驚いたようだったが、構わぬようにそう言った。
ぼくのつぶやきをまるで無視するかのように言葉を継いだ彼女に少し気に障ったのと、からかってやろうかなという思いが入り混じって、「これはどう見てもおおぐまだよ。がっしりとした前足の感じもそうだし、きみがしっぽに見えると言ってるところも、ほらっお尻の輪郭の一部だよ。だから北の方に行くのがいいな。」ぼくは言った。
「あらっこれはやっぱりおおいぬだわ。それにどうしておおぐまだから北なの。」そう言った彼女の言葉には、ぼくが占いに口を挟んだことが気に障ったのか、語尾に詰問調がこもっていた。
「おおぐま座は北極星を指してるじゃないか。だからおおいぬが現れたということは、きっと北がいいという意味だよ。」彼女の詰問調にあわせて、ぼくも向きになった風にそう答えた。
「あらっおおぐま座なんて夏の暑い盛りの花火大会の花火の合間なんかに見るものだわ。だからおおぐまだから北じゃなくて、おおぐまだから暑いところに行くっていう意味よ。」彼女の言葉に熱が入ってきた。
「へぇきみは、おおいぬじゃなくておおぐまだって認めたんだね。それに、そのうえでおおぐまだから暑いところに行くのがいいなんて屁理屈捏ねて。」ほんとうの気持とは裏腹に、彼女をとにかく言い負かせてやろうという気になってきた。
「あらっ私は仮におおぐまだとしても、暑い南の方がいいと言っただけよ。あくまでもおおいぬだから南なのには変わりないわ。」彼女も後には引けないという感じでそう言った。
「きみの言い方からするとおおいぬだから寒い北の方ということにもならないかい。おおいぬ座は寒い冬の帰り道なんかにぶるぶる震えながら探すものだよ。」ぼくも後には引けない。
「あんまり言いたくはなかったけど。確かみなちゃんも北の方に旅するって言ってたわよね。一日だけフリーで歩き回ってどんな写真が撮れるか競争しようなんて言ってたけど。どんなことがあっても北の方がいいなんて、もしかして何かあるのかなぁ。」彼女の言葉にはトゲが含まれ、そして目には探るような感じが含まれていた。
「何を言い出すんだよ。言っていいことと悪いことがあるぞ。それなら俺も言うけど、きみだってよしおが南の方にアルバイトに行くという話しを熱心に聞いてたし、写真で競う話も乗り気だったじゃないか。きみの結論は、占いなんかしなくても、はじめから南だったんだ。」ぼくは言い放った。
「あらひどいわ、謝って。」
「きみこそ、謝れよ。」
「あなたこそ。」「きみこそ。」
「あなたこそ。」「きみこそ。」
それきり旅行の話は中止となって、二人は不機嫌なまま分かれた。
その後何度か二人で会うこともあったが、会話は通り一遍のことに終始して、会う間隔も次第に長くなり、いつの間にか彼女はぼくでもないよしおでもない、他の男子学生とキャンパスを歩くようになっていた。

posted by はまべせいや at 05:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 黒の部屋 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月26日

はもん

あっ はもん
それ、
はつながっている
のだから
つぎから つぎ
ゆらり ゆらり
かがやきを
みつめてた
ぬくもりを
みつめてた
ほうようを
みつめてた
のに
そのさきは
くらやみ さむかぜ いばらみち
あらしのなか
このは
のように
いまも どこからか
ゆらり ゆらり
そこ、
にあった
それ、
だけをみつめる
のだから
しゅくしゅくと
かがみ
のように
なめらかな
きおくに
かえる

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2010年07月22日

不要な自分

自分のできるようにしかできないということは、自分のできるようにできるということである。この簡単なことに気付くのに、ぼくは案外時間を費やした。このことに気付いたことによってしゃっちょこばった自分は不要となり、ただ全うするだけの自分が訪れた。

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2010年07月21日

風を感じて

吹く風になにかが棲んでいると感じる皮膚感覚は、足の裏でどれだけ大地を感じながら歩いているかということで日々進化もし、退化もする。理性の退化だと人は言うかもしれない。しかしそれは逆だ。感覚を疑い、理性を研ぎ澄ましたからこその逆転現象だ。ぼくの現時点での後半生このかた概ねこの感覚は進化する方向であったことは確かなようだ。吹く風を感じる“とき”は決して流れない。

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