2013年01月04日

ストーリーのない物語

目を閉じることによって、反って見えて来る絵があるとするならば。ストーリーを忘却することによって、反って紡がれて来る物語があっても不思議ではないのではないか。目を閉じることによって反って見えて来る絵画群を、少なくとも1つは私はもっている。その絵画群に囲まれて、私は震える。その震えは破壊的なものでなく、心地よいめまいといった類いの震えだ。直接身体の芯に心地よいめまいを感じさせる物語。そんな物語がどこかにあるはずだと、私は思う。ストーリーを追いすぎる。ストーリーを追いすぎる生は、反ってストーリーに追われて生を失う。そう自戒を込めて。年頭に改めて思った。


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2012年03月26日

春爛漫

1個が無数のなかの独立した部分にすぎないということは大人の常識。そんな常識に慣れた大人は、春の日差しを浴びて春そのものといった風にぱっと咲いた子どもの笑顔を見て、かつてひとつであるということはすべてであるということが分かっていたころがあったことを思い出してはっとする。

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2012年02月27日

海面漂泊

たとえば海に放り込まれたならば。顔を水面に向けているときは手足を動かして泳がざるを得ない。顔を空に向けているときはただ潮の流れに任せてぷかぷかと浮いていればいい。空の青さ、変幻自在の雲、沁み渡る月光や星辰に涙すればいい。涙できるということは、実はとても幸福だということに気がつけばいい。ただ海面に浮いていられるような凪が続くことは奇跡のようなことなのだと心に刻みつければいい。
顔を水面に向けて泳いでいるときは無我夢中。顔を空に向けて浮いているときは奇跡のように夢見心地。いずれにしても、ちっぽけな「自分」など海に預けるがいい。

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2012年02月01日

作家と時代

時代に違和感を感ぜずにして、作家であろうとすることはあり得るだろうか。おそらく時代のなかに作家がいるということでなく、作家のなかにどうにも消化しきれない時代が渦巻いているということではないか。そのどうにも消化しきれない部分を表出させたいという欲求が作家を作家たらしめている。その表出したものがどんな時代に生きる人間にとっても普遍的な問題であるときに、同時代を生きる人に共感を与える。そして、その作家は時代を反映していると言われるのだと思う。

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2011年11月09日

矛盾

「自分」ということを突き詰めて思考していけば、行き着くところは「滅び」である。
「使命」ということを真摯に実践するということは、「滅びの繰延」である。
そこが大きな矛盾なのである。
世の中はその矛盾に気がついた人と気がつかない人に二分される。
気がついた人はより美しくしようとする人とより醜くしようとする人とに二分される。
ただその美醜の尺度すらも矛盾のうちに存在する。

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2011年03月16日

野菊

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2011年03月12日

くだらないということ

大事だということのなかにくだらなさがあり、
くだらないといいことのなかに大切がある。
今回の地震と報道とツイッターの書き込みを見て、体験して。
自身が復興にわずかながら関与して。
それを確信した。
そういう自分もかなりくだらない。
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2010年01月02日

肴に思う

誰かの笑顔につながっているかもしれない消費と、誰かを食い尽くすことになる消費と。二種類の消費があるのだろうなと。激安店のミックスナッツをつまみながら、そんなことをとりわけ強く噛み締めた。
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2009年11月08日

競輪はお嫌?

生死を勝ち負けに置き換えるとしたら、圧倒的に生が勝ちで死が負けであるということが世間の通り相場だろう。だが厳密に考えると、ほんとうにそうなのだろうかと疑問をはさまざるを得ない。そうは言うものの、気が付いたら生きてしまっていたのである。それを全うせざるを得ない。だからとりあえず生が勝ちで死が負けであるということにして、生を全うしているというのがほんとうのところだろう。

明日生きているか死んでいるか、次の瞬間生きているか死んでいるか、それを本当に確かなこととして知ることはできない。だから私たちは生と死のくじを引き続けながら全うしているようなものだ。そういう意味で考えれば全うするということはギャンブルと言って差し支えないだろう。

どこかで『ギャンブルは大人が授業料を払って上手な負け方を覚えるためのものである』というような一文を読んだ。この一文はストンと落ちた。なるほど言葉を置き換えれば「全うするとは上手な死に方を覚えるためのものである」と、これはひとつの見識だと思う。

たまたま散歩道の近くにある競輪場。ふらっと寄って以来興味をもった。“この世的”である。当たれば勝ち、当たれば生。はずれれば負け、はずれれば死。私も“この世的”に車券を買う。

競輪の魅力はと言えば、ここでスピード感がどうだ敢闘精神がどうだとか、ラインがどうだ脚質がどうだという私の説明を読むよりは、実際の競輪場に足を運べばよく分かる。入場した競輪場で開催中ならば風になって駆け抜ける選手を実際に見ることができるし、開催中でないならばスクリーンで見ることができる。

さて、そのスクリーンである。入場した競輪場で開催していようがいまいが、発走の合間には解説者がレース展望を話している。この展望、私よりずっと競輪のことに精通している解説者には失礼なのだが、そこで語られているのは物語だ。さまざまな要素を組み合わせて、「ああいうこともある、こういうこともある。でもここはこういう可能性が最も高いのではないか。」と。もちろんきちんとしたデータや取材に基づいたもので出鱈目とは言えないが。

解説者のレース展望を当てにしようが当てにしまいが、やはり私が車券を購入するときは物語を買っているのである。こういう戦法の選手が好きだから、そういった選手が入着する物語はないだろうかとか。ここは地元の選手に是非とも勝ってもらいたいから、そういった選手が入着する物語はないだろうかとか。そういうことだ。

買うのは物語だ。100円から買える。大枚はたいて買う必要はない。財布の中の小銭で物語を買う。負ければ、束の間の夢を楽しんだことで満足すればいい。勝てば小銭が小金になる。あぶく銭は身につかないのだから、そうした小金はさっさと使ってしまうのがいい。

掛けた金に対して100%回収しているのは、ほんの一握りの人だ。物語を買って上手に負けるのが競輪だ。競輪には人間の生き様のさまざまな要素が含まれている。どんな人間模様を夢みるか。そうしたことを買うのが競輪だ。

競輪はお嫌?

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2009年10月18日

いぬはいぬ?

秋の日差しが心地よく、朦朧たる心身をほぐしてく。

いぬって、なんでいるのにいぬなのだろう?

こんなときこそよく分かる、いぬは人間よりもほんとうのことをよく識っているからだと。

このまま秋の大気のなかに分散してゆくゆめをみる。
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2009年01月01日

初日の出

サイレンのどこか遠くで聞きながら初日拝める部屋の温もり
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2008年04月20日

生きる感触

たまには自分で直接に命を奪って調理すべきだ
ぐらぐら煮立つ熱湯に蟹を放り込んだ
熱いと叫んだ、大極悪と思った
いったい命はだれのものか

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2008年03月23日

ことばあそび

スパイラルの縁
力を尽くし
沈まぬように
人間の業
憂いを秘めて
手のひらに
握る思いは
儚い夢か
かなわぬ思い
いたずらに
苦い思いよ
汚れたぼくが
ガラスの粉を撒き散らす
スパイラルの縁
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2008年01月31日

鼻くそみたいの

鼻くそみたいの落ちていた
なんだこんなのつまらない
でもこれってなんだろな、少し考えてから捨ててもいいや
電卓くんを使ったら、キーを押すたびカタカタゆれる
あっこれは、ひっくり返した電卓の穴に埋めたらぴったんこ
机にしっかりフィットして、ゆれなくなったよ電卓くん
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2008年01月01日

贅沢な時間

醤油がふわっと香った
部屋の空気が少し動いたか
やはり醤油の香りが圧倒している
上質のかまぼこは、ほんのり甘い
香りは控えめ、歯ごたえが楽しい
海のものをおいしく食べる技術の粋
そこに何かを付け足すのは邪道だろうか
ほんの少しだけ醤油を垂らすのが好きである
旨味が引き立ち香りが豊かになる
丘の上の幸を加工した技術の粋
二つの技術の粋が混然となる
ロックグラスの氷がチリンと鳴る
ウィスキーがかまぼこを食べた後の口の中をちりりと焦がす
芳香を残して通り抜ける
なぜこんなに似合うのだろう
それぞれの技術の粋だけでも不思議なのに
和の海の技術の粋と丘の技術の粋と
そして洋の技術の粋と
それらが混然となってひとつの時空をつくる
時空を漂う贅沢な時間を演出してくれる
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2007年10月28日

僕って、悪い子?

ねえ、サントリーさん
僕って、悪い子?
シーサーさんには
無料で使わせてもらってるのに悪いなと思いながらも
アフィリエイトもブログシッピングもしてないんだよ
(やっても効果は期待薄だけど)
そんな僕でもあなたのことが大好きだから
ブログパーツを付けたんだよ
角瓶はずっと飲んでるし
サントリーホールにも随分足を運んだんだよ
いつの間にかブログパーツが表示されなくなってるって
どういうこと?
ねえ、サントリーの人
僕の片思いだったのかな?
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2007年09月13日

これが日常?

あなたが逃げた、次の朝。
いつもの朝が始まった。
号外が出るほどの、憲政史上初めての出来事にざわめいた次の朝。
なんのことはない。
昨日と同じ朝が始まった。
零細な得意先の社長は今日、
締め切りの時間を過ぎて
息せき切って小切手を事務所に持参した。
私はといえば、無い頭を振り絞り「内部統制」の本を読んでいた。
彼は私、私は彼。
どちらも逃げられやしない。
どうしてこんなになっちゃった?
あなたは逃げて、彼と私は取り残される。
posted by はまべせいや at 20:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑感など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月25日

香りの記憶

僕にとって都会は無臭
でもあの人は都会の臭いはいやだと言った
つかの間の世事からの解放を
公園に吹く草いきれの香りとともに感じて僕は思った
そんなような香りを
きっと毎日かいでいるあの人が
都会の香りをいやだと言うのは
無理からぬことではないかと
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2007年05月05日

ねこびより

neko.JPG


こちらが
きょうみがあることを
しめしたら
すりよってきて
しばらくあそんだ

しばらくあそんで
なにも食べものがないと気づくや
また
定位置でおひるね


neko2.JPG


こちらのねこは
終始しらぬかお
ねこもひとも
ただ 今があるだけ
おだやかな昼下がり
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2006年11月04日

ブックマーク

その本との出会いは私にとって幸運だった。
私はなにもかも分かったような気がしていた。
でもそれは実は勘違いだった。
そのことに気が付いて模索していた。
その矢先の出会いだった。
その出会いは必然に用意されていた。
そんなことを思う。
その本は語りかける。
饒舌に語りかける。
でも結論は決して語っていない。
結論が述べられるか?という手前で最後に突き放す。
そこで語っていること。
それは大切なことは自分で考えなさい。
たったそれだけ。
私はその本の考え方に近づきたいと思った。
その本に書いてあるすべて。
それをただ覚えるのではいけない。
一度突き放して自分で模索する。
そのうえで書いてあることに追いつくか。
あるいは書いてあることを正面から否定できるか。
それでなければその本を読んだことにはならない。
大切な本には大切なブックマーク。
大切なブックマーク。
自分の備忘録に使われる日は来るのだろうか?
posted by はまべせいや at 17:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑感など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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