2005年05月09日

薔薇(ばら)

「たくさんの星のどれかに咲いているたった一輪の花が好きだったら、
その人は、たくさんの星をながめるだけで、しあわせになれる。」


「星の王子さま」の、王子さまは言う。

その後「よそだとどこにもない、めずらしい花」
だと思っていたのは、実はありきたりの薔薇の花だと気がついた王子さま。

それでも、王子さまは「自分の星の薔薇の花が、たいせつなんだ」と言う。
そして、最もかなしい方法で薔薇のもとに帰っていく。


最も身近であるが故に、
自分にとって最も「たいせつ」な存在を忘れてしまう。
何をしてくれても当たり前になってしまったり、
ちょっとしたことにも怒ってしまったり。
傷つけあい、疑い、愛を見失う。
自分がたいせつにすべきもの。
たいせつにしているだろうか?

また、こんなことも思う。
ありきたりの自分の思いは、ありきたりの人々の思いのなかにも存在する。
同じ思いを抱く人々が、同じ星を仰ぎ見る。
そんなことを思うだけで、私は幸福になれる。

自分は特別だと思っているあなた。
ありきたりの薔薇でありながら、
誰かにとって特別の薔薇になることが尊いことなのではないでしょうか?


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2005年05月02日

風呂(ふろ)

風呂が5月の季語ってどういうことだろう?
そのようになったいきさつはきちんとあるんだろうけど。
ここでは私の個人的体験を。


実は私が風呂好きになったのは五月だった。
最近はどういうわけだか耳にしなくなったような気がする五月病という言葉。
学生一年目の私は見事にこれになってしまった。

それまでの私は風呂といえば義務的に入るもので、
できるなら入らないで済む方法はないものかと思っていた。
ところが五月病で体調を崩してからというもの、
痛む胃腸を癒すのに風呂に入るのが楽しみとなった。
風呂に入って暖まっていると、胃腸の痛みが嘘のように消えたのである。
風呂のお湯の身体を包み込む暖かさは、
誰かに抱かれているようなやさしさにも似ていた。
心身ともに癒された。

この経験以前から「風呂の効用」は知っていたが、
この経験を通して始めてその言葉が現実に意味を持つものとなった。
五月病のおかげで楽しみが一つ増えたのは、私にとって幸運だった。


身体に毒なのでお勧めはしないけど...。

休日の夕方の私の最も贅沢な時間の過ごし方が風呂での酒。
ぬるめで少な目のお湯にゆっくり浸かる。
二時間近く入っているときもある。

温まりながら呑む酒はウィスキーのオンザロックがいいようだ。
ビールはお腹の表面が温まっている分、
内部から腹を冷やされている感じがする。
日本酒の燗はすぐにのぼせてしまうような気がする。
日本酒もオンザロックならいいようだが、
私には風呂で飲むには度が低すぎるような気がする。
ウィスキーのオンザロックはいい。
大きなグラスに注いで風呂に入る。
最初はほとんど舐める程度に。
次第に適度に薄まってくる。
冷たい液体が喉を通るのだが、その後喉からお腹までが温かくなる。

そうした感覚を楽しみながら、いろいろなことに思いをめぐらせる。
時々忘れたころにオンザロックの氷が解けて、チリンと音がする。
これがまた良い。

贅沢な時間はあっという間に過ぎてゆく。
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2005年04月25日

鰹(かつお)

今でこそ春の鰹の刺身は大好物なのであるが...。
かつては味があるとは感じることができず、臭みのある鰹はあまりおいしいとは思えなかった。

春先なると南の海から北の海へ、鰹は日本列島を沿って北上する。
この回遊する鰹が獲られて、春先の食卓にのぼる。
春先の鰹は栄養分が少なく身体に油分が少ない。
そのため、身は淡白で臭みも油分にごまかされないので強く感じる。

「戻り鰹」というのを知ったのはいつのことだったろうか?
北の海で栄養をたっぷりとって、身体に油分を溜め込んだ鰹が秋口に南下してくる。
これを「戻り鰹」という。
この戻り鰹を食べて、私は
「なるほど、秋の鰹は臭みが少なく油が乗っているのでおいしいな」
と思った。
それ以来私は鰹が好きになった。

ある日私は何も言わずに出された刺身を、迂闊にもまぐろの刺身と思って食べた。
ところが、これが「トロかつお」という代物だった。
美味であった。
それ以来私は鰹というとトロかつおになった。
しかしである。
考えてみれば鰹はやはり鰹で、トロかつおはまぐろに似せた亜流のような気がしてきた。

「トロかつおを食べるんだったら、鮪を食べればいい」
「鰹は鰹だからいいんだ」
という心情がわいてきた。
ついには臭みのある淡白な春の鰹が「よいもの」と思えるようになった。
そうした遍歴で、私は春の鰹が大好物になった。

味覚と言うのは結構思い込みで左右されてしまうものなのかな?
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2005年04月18日

風船(ふうせん)

先日街を歩いていたら、路上に風船が落ちていた。
どこの子の手から抜けたものかな?
風船というと浅田美代子が歌った「赤い風船」を思い出す。
(物理年齢が分かろうというものだ)
家業を営んでいた母の実家に育った私は、
家族の管理の目も行き届かず、毎日野良犬のように外で遊んでいた。
空き地に作った秘密基地、
日差しに映える田んぼや川の水、
謎に包まれた停車場の荷物や道具、
すべてが光り輝いていた。

そのときだけ、遊ぶことだけを考えていた。
日が西に傾き、やがて一人帰り二人帰り。
最後に残るのはいつも私だった。
こぶしを握り締めて、私は闇がすぐそこまで迫っている家路を急いだ。

あの時の私のこぶしは、何を固く握り締めていたのだろうか?
そして、今もそれを握り締めているのだろうか?

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2005年04月11日

虎杖(いたどり)

負けず嫌いと言うのとは少し違う。頑固と言った方があっているような気がする。
私は他者との勝ち負けはあまりこだわらない方だと思う。
でも自分が決めたことを途中で投げ出すのには非常に抵抗がある。

中学生の時の部活動。
私はバスケットボールを選んだ。
もともと小柄で運動神経に恵まれているわけでもなく、
対外試合に出るなんていうことは夢の夢という感じだった。
練習といえば厳しいばかり。
今思えばなぜ続けられたのか?不思議で仕方がない。

部活動を始めたころの帰り道。
道端にはいたるところ虎杖が生えていた。
その茎を折って、皮をむいてよくかじったものである。
口の中にすっぱい味が広がり、渇いた喉を潤した。

虎杖をかじりながら疲れを癒し、
「明日はもっとうまくなってやる」
と思いながら、口の中に残るエグ味を噛み締めていたのを懐かしく感じる。
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2005年04月04日

亀鳴く(かめなく)

お断り。
亀が本当に鳴くのかどうかの科学的検証や文学的考証は一切行っておりません。

う〜ん。
「亀鳴く」とはなんとも不思議な言葉だ。
亀が鳴くなんて今まで見たことも聞いたこともないし、
まして実体験などしたこともない。
そんなことが本当にあるのだろうか?
こんな季語を作り出した人はきっと大ぼら吹きだろう。

でも。
考える。考える。考えてみる...。

喧騒激しい街の中でも木々に囲まれて嘘のように静かな場所がある。
たとえば、神社のような場所。
そんな場所の古い小さな池の石の上で、一匹の亀が日向ぼっこをしている。

満腹を抱えた昼下がり、私はぶらぶらとその池の縁までやってくる。
亀と一瞬視線が合う。
立ち止まった私は亀を凝視する。
亀は何事もなかったように、目をつぶり首を引っ込めてまた日向ぼっこ。
私もそのあまりにも気持ちよさげな姿に付き合うことにする。

春の日は長い。
その時間が立つのを忘れて、のたりのたりとまどろむ。
池の石の影が長くなってきて、どうやら縁に触れるころになって、
亀がいたずらっぽくこちらを見ると、「くふぅ」と鳴いて池の中に入ってゆく。
その声にやっと我に返り、街の音が微かに聞こえてきた。

静かな。不思議な。満たされた。
亀時間であった。

そんなことがあっていいのかもしれない。
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2005年03月28日

春田(はるた)

私が子供のころ住んでいた家の近くの停車場
(祖母がよく使っていた言葉だが、大好きな言葉)
から少し離れると、そこには田んぼが広がっていた。
水が温んで、春の日差しでキラキラと光る田んぼにひかれてよく遊びに行った。
暖かくなってきているとはいうものの、
木の影になっているところでは昼を過ぎても薄氷が張っていた。
そして、そういうところにはカエルの卵があった。

まだまだ水に入れば冷たかっただろうに、
私はどこかでバケツを拾い、田んぼに入ってその卵を集めてきた。
夕暮れ時。
汚らしいバケツをもって、泥だらけになって家に帰ると
祖母が「またこんなに汚したね。早くお風呂に入っちゃいな。」と迎える。
カエルの卵が入ったバケツはそのまま忘れられていたのだが...。

ある大雨の翌日。
「なにこれ。またあんたの仕業だね。」と祖母が私のところにやってきた。
私が見に行くと、
片隅に置かれたのバケツから大量のおたまじゃくしが庭にあふれ出して踊っていた。

祖母からは最後の最後まで「あんたは、おめでたい子だよ」と言われ続けた。
何をやっても間が抜けている私。
その私の一番の特技は、都合の悪いことはすぐに忘れられるということ。
ちょっと先の遠足のことを考えることで、
夏休みの宿題をまったくやっていないことを忘れることができる子であった。

春の田んぼから思わぬところへ話が及んでしまった。
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2005年03月21日

蜆(しじみ)

私は酒が好きである。
外で飲んで会話が弾んだときなどは、
もともとの酒好きが高じて翌朝はひどい思いをすることも...。
コーヒーも大好きではあるが、そんなときはコーヒーを飲んでも胃がむかむかするし、
スポーツドリンクの類の飲料ですら甘ったるさが気になるときがある。

「人間の自然な欲求というものは結構当てになるものだな」
二日酔いで蜆汁(最近は、カップのだけど)を飲むたびに私はそう思う。
どんなにひどい二日酔いでも蜆汁だけはおいしく飲めるのである。
薄ら寒い身体が芯から温まり、
水分と栄養分が身体の隅々まで行きわたって、
元気をくれる。
古くからも二日酔いに良しとされ、科学でもその良さが証明されているけど、
私には、理屈ぬきにうれしいのだ。

宍道湖の工事で蜆がどうとかというニュースを頻りとやっていたのはいつのことだったろうか?
「蜆汁はいつまでも残って欲しいな」と二日酔いのたびに私は思う。
posted by はまべせいや at 11:02| Comment(2) | TrackBack(0) | 季語に思う | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年03月14日

涅槃西風(ねはんにし)

春の彼岸の頃に吹く西風を、涅槃西風というのはつい最近知ったことである。
父の墓参りに行くと決まって風が吹く。
陽射しと風向きの関係から、
その風が西から吹いているかどうかというとちょっと自信がないが。

生前の父と私は縁が薄く、様々ないきさつもあって恨みがましくも思っていた。
しかしいざ父が亡くなり、自分の生活を反省してみると
「自分はなんて父に似ていることだろう」と思うことが多くなった。
そう思うことが多くなってからやっと、父を愛しく思えるようになった。

「果たして父は私のことをどう思って亡くなっていったのだろう?」
線香に火をつけるのに苦労するこの風で、
「まあせいぜい私を困らせてくれや」と私は思うのである。
posted by はまべせいや at 17:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 季語に思う | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年03月07日

猫の子(ねこのこ)

季節は春ではなかったかもしれないが...。

ある日会社の駐車場でカラスと猫を見かけた。
カラスは見るからに立派な成鳥。
猫はまだ幼さを残した感じで、たよりなさをもっていた。
何か食料が落ちているのだろう、
それと思しきものをはさんで互いに睨み合っていた。

始めは両者とも一歩も引かずに睨み合っていたのだが、
やがて猫がじりじりと(よほど注意深く観察していないと気付かないくらいゆっくり)
後退りし始めた。
あとで時計で確認するとその間5分くらいだったと思うが、
思わず見入ってしまった私には
永遠にその睨み合いが続くのではないかと感じられた。

最後は一瞬だった。
猫が一瞬身を低くしたかと思うと、さっと身を翻して一直線にその場を去った。
身近な自然のなかに、
厳しい掟とそして”智慧”のようなものを見たような気がした。


猫というと陽だまりが良く似合う。
今の季節、暖かそうな毛に包まれて、
陽射しを浴びながら目を細めている様を見ると、
見ている私もつい気持ちよくなってしまう。
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2005年02月28日

菜の花(なのはな)

菜の花畑の一面黄色は、なぜあんなにやさしいのだろう。

風に身を任せて一面にゆれている様がまぶしいから?
みんなで語り合うような様が楽しそうだから?
それとも朝の活力をくれる、スクランブルエッグみたいだから?

いやいやきっと、昔懐かしいうたを思い出すからかな。

確か小学生のときのバス旅行。
ガイドさんが「おぼろ月夜」を歌ってくれたっけ。
そんな思い出が長いときを経て、
菜の花を見る私の心にやさしくよみがえる。

忘れかけていた風景に、
夕闇迫るまで泥だらけになって遊んでいた少年が重なって行く。




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2005年02月21日

蕗の薹(ふきのとう)

霜が降りている寒々とした大地にポッコリと顔を出しているふきのとう。
その生命の力には感嘆する。
青臭いような独特の香りとほろ苦い味。
格別においしいというものでもないのかもしれないが、
この季節一度や二度は食べてみたくなる。
それは忘れかけているモノの味。
地に足をつけて自己主張しようともがく、人生の春の味。
その味の良さがわかったのは、私の場合人生の春を過ぎたあたりなのが少し残念。

分別だけの人にとって、私の数々の疑問は青臭くて幼稚に思えることかも知れない。
でもそう思うならそれで結構。それは私への賛辞なのだから。
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2005年02月14日

風光る(かぜひかる)

この時期陽射しを楽しみながら散歩していて、
突然一陣の風に見舞われることがある。

思わず身をすくめるが、
風の通り過ぎた後の葉のさざめきや水面の波紋に光が残る。
その暖かな感触に、
「光はもう確実に春なんだな」と思う。

本来の「風光る」季節はまだかもしれないが、
今の季節ゆったりと散歩を楽しむ時間をたくさん作りたい。
posted by はまべせいや at 13:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 季語に思う | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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