2005年09月26日

秋出水(あきでみず)

台風や大雨が過ぎ去った後の近所の造成地は私にとって格好の遊び場だった。
私はそこであるときは蟻の視線になりあるときは鳥の視線になって眺めたり、
”土木工事”を施してみたりして飽くことなく遊んだ。
水が流れてできたその地形は、蟻にとってはグランドキャニオン。
グランドキャニオンの底を流れる川は、
見ている間にも谷を浸食して新しい地形をつくっている。
小さなダムを作っても、水の流れはそれを破壊して止まることなく侵食を続ける。
水の流れってすごい力だ、こんな風にして様々な地形ができていくんだな。
私は感動する。

人類の歴史はよく大河にたとえられるらしい。
確か「自分は大河の一滴である」と言った文豪もいたような気がする。
まあそんなところなのかな?という気もする。
でもこの大河。自然の地形までも変えてどこに行こうとしているのだろう?
自然の地形を変える力を持つにいたった生物は人類だけ。
それだけの力を持つ人類なのだから、他の生物とは違う存在理由を求めたい。
人類はなぜ宇宙に存在するのだろう?
宇宙に人類が存在する意義はありやなしや?
大河の流れ全般をとればその基本的な理由が分からないまま或いは思考を放棄したまま、
種の反映を願いそれに貢献することに意味を見出して流れていると思う。
しかしこれでは人類以外の生物の存在理由を越えたとは言えないと思う。
所詮人類も生物の一員。
宇宙自体に存在理由もないし、生物全般にもひいては人類にも存在理由はないよ。
そんな声が確かに私の心の中からも発せられるのではあるが、
所詮そんなもんだと思ったらそこでおしまい。
私はそこで終わりにしたくないのだ。
その答えは自分自身の心のなか奥深く分け入ったところで、
いつか”見える”ような気がする。

個人個人の「大河の一滴」をとってみれば、
案外私のような問いを発している人は多いと思う。
しかしこれが集団となって流れを成すとき、その問いをついつい忘れてしまう。
私自身ともすれば大河とともに流れることを心地よしとするのだが、
ふと自分を省みたときその流れは濁りすぎていると感じる。

子供のころ造成地にできた川で遊んだように
自由に川の流れる方向を変えたり、運河をつくったりそんなことはできないだろうか?
そんなことを思ってみたりする。
先に私は「大河の一滴」という言葉を使い、そんなところかな?と言った。
でも歴史の流れは単純な流れではなくて、もっと違うものだったらどうだろう?
そう考えると、人類の歴史の流れは案外容易に変わるものかも知れない。
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2005年09月19日

敬老の日(けいろうのひ)

私の曾祖母は明治に生まれ、数々の災禍・混乱を潜り抜けて昭和の末期まで生きた。
俗に明治女は気骨が強いと言われるが、
私も漠然とそんなことを思いながら曾祖母(身内だけど、以後裏のおばあちゃん)を見たきた。
私の住んでいた母の実家において、裏のおばあちゃんは「権威」であり畏れられていた。

幼心にもそういった感じは私の心に伝わってきた。
私が病気になると裏のおばあちゃんが「あれを飲ませろ。これをやれ。」。
「まとまったうんこがでたらじきに熱が下がるよ。」と言うと、
うんこがでたら本当に熱が下がる。
わたしのこと以外でも家族の者が「裏のおばあちゃんに聞かないと」と
よく言っていたのを覚えている。
朝礼で校長先生が敬老の日の話をしてても全く聞いていなかった私が、
ちゃんと老人はすごいと知っていた。

もちろん腕白盛りのころはいたずらをしてよく怒られた。
右手で頭を撫でながら、
「あんたはちっとも悪い子じゃないんだけど、この手が悪いんだね。あんたのためにこの悪い手を成敗してくれる。」
と左の手で私の手をつねる。
足蹴にしようとすると、「足も悪いか。」と言って足を押さえる。
友達と屋根に上って遊んでいると、
「こらぁ。また悪い猫が来たか。大きい猫二匹も。」
と言って竹ざおでつつく振りをする。
「一泡吹かせてやろう」なんて不埒なことも考えた。

そして思春期以降も何かと煙たい婆さんだった。
「なんでいちいち裏のおばあちゃんなんだよ。」とは
自分だけで現実を切り開いてやるという若者の特権意識。

それでも私は家族ともども、裏のおばあちゃんを畏れていた。
それは数々の災禍・混乱を潜り抜けてきた自信とそこで培った智慧に裏打ちされて、
若いものにおもねらず、適切なところで適切な助言ができる。
そんなところによるものだろう。

さて。本当の老人とは年齢を重ねただけの人を言うのであろうか?
「老」という言葉。噛み締めてみたい。
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2005年09月12日

無月(むげつ)

雲に隠れて月が見えない状態を無月と言うらしい。
私はかなり迂闊な子供だった。
物語などで「月明かりをたよりに森の中を歩いた」なんて事を読んでも
ああそうかと思うだけで、月明かりを実感したことはなかった。
「月というのは明るいものだ」と実感したのは、
中学生になって望遠鏡やらで星空を覗くようになってから。
月面を望遠鏡で覗くようになってからも、
興味はあくまで月面の地形であり、
月明かりそのものを愛でていたというわけではなかった。
月明かりが真に明るいものだと思ったのは、
自分なりに幾つかの挫折感を味わった学生時代のこと。
このころまで月が私を照らすことはあっても、
月を見る目が曇っていた私にとっては無月であったに等しい。

お天道様はこの世を照らす。
お月様は闇を照らす。
闇であってもこの世を照らすことに変わりはないし、
お天道様は闇を全く失わせるほどに闇を照らしている。
これは確かなのだけど。
お月様は闇を照らす。
端的にそう思う。
お月様は闇を全否定することなく、
それでいながら全てが闇にならないよう、照らしてくれる。
そんな有難味に気が付くのは、
やはり人生の陰影や機微に多少なりとも触れた後なのであろう。

その繊細な白銀の光は、
私を闇ごと包み込みすべてを肯定してくれたうえで照らしてくれる。
そのまぶしさは、ある意味白昼のお天道様のまぶしさの比ではないかも知れない。

先に書いたように私がお月様の真の明るさに気が付いたのは、
迂闊にも人生を20年ほど過ぎたところだった。
夜のない現代社会。
闇それ自体を全否定するような世相。
事態は私の頃より悪化し、
お月様の真の明るさに気が付く機会を失わせているような気がする。
若いころの私がポッキリと折れそうでどこか頼りなかったように、
「無月」の時代は何かが足りない。

そろそろ中秋の名月。
皆がお月様のまぶしさに包まれんことを望む。
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2005年09月05日

露草(つゆくさ)

ピンクや黄色などの花が活けられているのを見ると、
可憐だな。可愛らしいな。そんなことを思う。
そんな花の中に藍系統の花が数輪混ざっていると、
この印象ががらりと変わる。
藍系統の花の凛としたたたずまいは、私をはっとさせる。
他の花は藍色の花を引き立てるための脇役になってしまい、
藍色の花の神々しさだけに私は魅了されてしまう。

9月というと、もう露草の季節は終わってしまったか?
何気なく道を歩いていて、あっこんなところに露草が。
あっここにも露草が咲いていた。
なんてどこにでも咲いているものだが。
いざ探すとなると、見つからないものである。

私の視線のはるか下に咲くその花をみると、
活花の藍色を見るのとはちょっと違った印象を受ける。
それは昔懐かしいラムネを一粒口の中に入れたような。
そんな甘酸っぱさと言っていいのだろうか?
私の琴線を微妙にくすぐる。
「ああ。この花はきっと自分なのだ。」
そんなことを思う。

どこにでもあり、ちっぽけで、ありふれたもの。
それでも心を凛と張り詰めて、生ある限りひっそりと呼吸を続ける。
そう。ただ在るだけ。
そんなことを思い出させてくれる。

誰がつけたか、花言葉は「懐かしい関係」。
露草の視線で泥だらけで遊んでいた少年と露草は、まさしく懐かしい関係。
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2005年08月29日

蜩(かなかな)

夕暮れ時ぶらぶらと歩いていると、
「かなかなかなかな」と何処から聞こえてくる。
まだまだ暑い今の季節の夕暮れ時ではあるが、
それを感知した私の周りだけに涼しい風が吹いたような気がする。
私の半径数十センチにすっぽりとできた神域。
ぶらぶらと歩きながらも心はショート・トリップ。

「ああ。終わったんだ。」そんな思いが心に浮かぶ。
いったい何が終わったのか?
それはそう思っている自分自身でも説明できない。
今日一日の自分の務めが終わったとも思えるし、
夏が過ぎ去ってゆくのを感じたとも思えるし、
生涯の最後の晴れの舞台で鳴いている蜩のことを思っているのかもしれない。

本を読んでいて「時間は単なる流れではない」なんていう言葉を発見する。
私は未だその意味がつかめていない(もしかして嘘かも知れないし)。
でも日常べったりの中でたまたま蜩の鳴き声を聞いて、
一日や季節、蜩の一生に思いを馳せている自分とは何だろう?
そのあたりを突き詰めていくと、
もしかしたら時間を単なる流れの中で捉えることに飽き足らなくなるのかも知れない。


かなかなやまっしろおばけの宿題帳  岡田葉子

こんな俳句を見つけた。
私の小学生時代を思い出して思わず苦笑してしまった。
大人になった今も、
存在と時間に対する「まっしろおばけの宿題帳」を抱えてぶらぶらとうろついている。
子供のころの宿題と違うのは、期限もなく楽しい宿題であるというところだ。
それにしても、子供のころからなんと成長してないことか。
posted by はまべせいや at 17:36| Comment(4) | TrackBack(0) | 季語に思う | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月22日

蟷螂(かまきり)

抜き足差し足といった風で歩く姿は、
気配を感じさせず相手に忍び寄る忍者にも似ている。
葉っぱの上でじっと獲物を待つその姿は、忍法葉隠れの術だ。
獲物が目の前を通り過ぎようとするや否や捕らえるその素早さは、
容赦なく敵を仕留める必殺の忍法とも感じられる。
シャープな体。
ギロリと睨むふてぶてしい目つき。
大きなものにも立ち向かう、あの威嚇する姿。
そんなところもかっこよく映った。

子供のころ「サスケ」という忍者が主人公のアニメが好きだった私は、
忍者を思わせるカマキリは憧れの虫だった。
あんな風にかっこよくなりたい。
カマキリを見て、捕まえて。
いつもそんなことを思っていた。

このブログのどこかで書いたと思うが、
最近私は自分が生きているのか死んでいるのか分からなくなることがある。
「生も死も。そんなに変わらないんじゃないの?」そんなことを考えちゃったりして。
もちろんそんなことばかり考えていては仕方がないので、
ケジメをつけるべきはつけてこの世のことも考えてはいるのだけど。

ある朝私は車での出掛けに、
「この曲聴きながら運転してると、昇天しちゃう気分になるんだよな」
と言いながらCDを取り出した。
「昇天は困るわ」妻が言う。
「だってさぁ。いいじゃん。単独の事故で昇天するならさ。俺は生きてるのも死んでるのも同じだし。保険金が入れば、多分今より金持ちになれるよ。」私が言う。
「あら。そうね。」
妻から帰ってきた言葉はそれだけ。

もしかしたら片足くらい妻に食べられているかもしれないのかな?
こうしてカマキリみたいになりたいという子供のころの夢が、かないつつある。
posted by はまべせいや at 17:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 季語に思う | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月15日

案山子(かかし)

やぶれ ばんてん やぶれ がさ
それが おいらの ユニフォーム
ひでりのときも あめのひも
あきのかりいれ すむまでは
きゅうじつなしの しごとなのさ


これは私が幼少のころ、
母が地元青年団のフォークグループ?の曲のためにつくった詩。
家事をしながらよく歌っていた。
いつどのようにしてこの歌詞の意味を知ったか?
案山子は母で、刈入れは子育ての終了。

この詩の2番か3番に

こいもしたいさ かかしでも
ゆめだってあるさ かかしでも


という部分がある。
そう言えば、家事をやりながら恋の歌も歌っていたっけ。
それでも。
母は私にとって、ずっと母であり続けてくれた。
あまり具体的なことを、ああしろこうしろとは言わない母であった。
それでも母の背中は何かを語っていて、それを見て育ってきた。
そして今、私は普通に暮らしている。

母は今どうしているかというと。
織機を買って、せっせと織物を作っている。
かと思えば家の電話が何日も通じなかったり。
携帯電話を持っていてもスイッチがOFFだったり、
バッグの一番奥で着信に気がつかなかったり。
全く用をなさない。

まあいいか。
案山子の仕事を終えて、いまや織姫となった母が捉まらないのは当たり前だろう。
彦星はいるのかなぁ。
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2005年08月08日

立秋(りっしゅう)

夏だからといって何か特別なことをするわけではない。
四季を通して代わり映えのしない生活を送っている私ではある。
それでも夏という季節は気分がなんとなく浮ついているのを覚える。
立秋を過ぎれば夏も折り返し。
そろそろ浮ついた気持ちになんとなく翳りを感じ始める。

生涯を立春から始まる二十四節季にたとえれば、
今私はちょうど立秋あたりであろうか?
物理的な寿命でちょうど中間あたり。
立秋は二十四節季のまさに中間。
日照時間を身体の成長と活力に照らし合わせれば、
ピークの夏至をすぎて、ピーク時の余勢にもそろそろ疑問符が付いてきた。
そうそう派手に遊んだ記憶はあまりないが、
それでも今思えば随分無茶に遊んだもんだという記憶が浮かぶ。

今より若いときに何も考えていなかったというわけではない。
それでも就職して以来、
蓋をして遠ざかっていた問いを考えることが楽しくなってきた。
それは自分と宇宙に対するなぜ?という問い。
まだまだ人生の夏が続き、その次には実りの秋が待っている。
この世の役割を果たし、この世の実りを結実させるべく生きていくことだろう。

仕事からのリタイヤが人生の冬として。
この世の実りを結実させた後、
なぜ?に没頭できる冬が今や待ち遠しい。
冬至で日照時間が最短になり、その後徐々にお天道様が戻ってくる。
人生の最終楽章でお天道様が自分に近づいて来るのも、何やら象徴的な気がする。

さて。二十四節季の最後は大寒。
生涯は大寒で終わるのだろうか?
それとも立春に戻るのだろうか?
死を迎えるとき、自分なりの結論を持っているだろうか?
立秋にあたり、そんなことを思った。
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2005年08月01日

星月夜(ほしづきよ)

最近はすっかり朝型で、実際のところ星月夜を眺めるのは、
冬場の出社退社時と、酔っ払って家路に向かう道すがらぐらいになってしまった。
あれが琴座のヴェガ、あれがわし座のアルタイル。
あそこには北極星も見える。
でもヴェガとアルタイルの間のにあるはずの天の川を見ることはできない。
生活の光りあふれる街の中でのこと、私の目では2等星ぐらいまでしか確認できない。
それでも月や星の光を感じると、刹那にしても仰ぎ見たくなる。
星月夜にはそんな不思議な力がある。

なぜ宇宙。なのだろう?
始まりは?終わりは?
直線を進んでいるの?円周を回っているの?
なぜ存在するのだろう?
想像を絶する広がり。
そこにポツンと自分が存在する不思議。
ちっぽけな自分の意識のなかで広大な宇宙を思う。
この不思議。
宇宙は本当に広がりなの?

そんな思いに暫時駆られる。
すぐに日常へと埋没していくのではあるが。
そんなとき「ああ」ため息が漏れる。
「自分は在る」のだと。
そう。確かに自分は在る。
すべてを受け止めて、生を全うする自分が在るのである。

昼見る空も宇宙を覗き見ているはずなのに。
なぜ星月夜により多くの宇宙を感じるのだろう?
昼の空を見上げればそこにはお天道様。
「在る」ということへの疑問に光を注ぎ、
のっぺりと平板な日常へと連れ戻す。

夜が夜であった時代。
疑問と日常が規則正しく繰り返す。
過ごしやすい時代だったのかもしれない。
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2005年07月25日

雲海(うんかい)

地上から雲を眺めて、高い山から雲海を望めばどんなに気持ちいいだろう?
そんなことを思う。
何回か山に登って雲海を眺めたことはあるはずであるが、
不思議なことにそのときの感動というものを覚えていない。
雲海が見られるような高い山に行ったのは若いときだったし集団だったから、
みんなとの行動で雲海に感動しているゆとりがなかったのかもしれない。
そう言えば子供のころはだれもが夢に思うように、
雲の上に乗っかってみたいなんて思ってたっけ。
なんで雲海の記憶がないんだろうなぁ。

私の好きな作曲家にモーツァルトがいる。
そのモーツァルトの手紙の中に「最近僕は死と最大の友達になっています。」
というようなくだりがある。
私はモーツァルトのクラリネット協奏曲を聴くとこのくだりを思い出す。
私はモーツァルトの死生観というものを把握しているわけではない。
それでも私には最晩年に作曲されたこの曲には、
静かに死と向き合いながら生ある限り作曲を続けるモーツァルトの姿が見えるような気がする。

私は自分が晩年のモーツァルトの境地だなどと言う気は毛頭ない。
そうではあるのだが。
最近の私に少し不思議な現象が起きている。
精神とか魂とか。
そんなことを考えるうちに生と死の境が分からなくなってきてしまうのである。
(うまく説明できないのだけど)
だからといって生を粗末にするわけではではないのだが、
自分はいつでも死ぬ準備ができているような。
そんな気がしてくる。

再びモーツァルトのクラリネット協奏曲の話に戻る。
特に第2楽章を聴いたときの感覚は、
雲海の上を歩いているような感覚はこんなものではないか?
そんな思いがわいてくる。
私が思いに耽り、生と死の境界で遊んでいる感覚にもぴったりなのである。

モーツァルトのクラリネット協奏曲は、いつでも雲海の上に連れて行ってくれる。
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2005年07月18日

怪談(かいだん)

かがり火を囲んでの食事が終わると、隊長が急に声のトーンを落として話し始めた。

おまえら。
ここまで上がってくる前にふもとの神社で食料を分けたろう。
覚えてるか?
実はな。昔その神社に巫女さんが居たんだけどな。
その巫女さんがある日参拝に来た人の子供を預かって
抱っこしながら神社前の川べりを歩いていたんだ。
そうしたらこともあろうに、その子供を川に誤って落としてしまったんだ。
子供を助けようとして、自分も川に入ったんだけどな。
そのまま、その巫女さんは見つからなかったそうだ。
子供の方はすぐに見つかったが、もう息はしてなかった。
それから、不思議なことが起こったんだ。
あの川べりにしだれ柳があったの覚えてるか?
毎年春に花を咲かせていたその柳に、花が咲かなくなっちゃってな。
その代わり、夏の夜になると妖しいばかりに真赤に花を咲かせるそうだ。
そして、すすり泣くような声も聞こえるらしいぞ。
でな。もう分かってるだろ?
これから肝試しだ。
神社の鳥居のところに石碑があったろう。
その石碑の裏にカードを置いたから、それを取ってくるんだ。
あっそうそう。その石碑はな、川に落ちた子のために建てられたんだって。

順番を決めるくじで私は3番目になった。
くじが決まって1番目、2番目が出発した後も怪談は続いた。
迷い込んだら二度と出られない路地裏。
河童淵の話etc。
最初の子が息をはあはあ言わせながらみんなのところに駆け込んできた。
「怖くて川のほうは見られなかったよ。」
「それでも、帰るときは後ろを振り向きたくなるんだよなあ。」
「最後は歩くのが怖くなって、駆け足になっちゃったよ。」
そう言いながら、差し出された水を飲み干した。

っと。今まで揺らいでいたかがり火の動きが止まった。
正面にいる隊長が固まってしまったのではないかとでもいうように、
その影の動きが静止した。
夏とはいえ夜間のことでだいぶ涼しくなっているはずなのであるが、
じっとりと汗をかいてきたのが分かる。
「さあ。お前の番だ。」隊長に促されて恐る恐る神社への道を踏み出した。

頼りなげな懐中電灯の明かりが足元を照らす。
それ以外は漆黒の闇。
風もなく静かで、じっとりと汗が滲み出てくる。
それでいてなにか薄ら寒いような感覚。
虫の声とか葉擦れの音とかしてもよさそうなのに...。
音が何もしないのが不気味である。
ただ足元の明かりのみを見ながら一心にふもとの神社目指して歩いた。
2番目の子とすれ違ったのも分からなかった。

登るときで十分程度だったので、多分下りはそんなに時間がかからないはず。
でも神社の前の街灯を見るまでの時間が凄く長く感じられた。
「見ちゃいけない」そう思ったのだが遅かった。
僕は街灯の照らされたしだれ柳の木を見てしまった。
なんと、昼はただ緑だった木が真赤に染まっている。
「えっ」と思った次の瞬間、無音だと思っていた僕の耳にすすり泣くような声が...。

僕はたまらなくなって、もと来た道を一目散に駆け上り始めた。
ところが、すすり泣くような声がどこまでも着いて来る。
赤ちゃんの声も聞こえるようだぞ。
粘土質の土のところで滑ったところで後ろを振り向くと、
なんとしだれ柳の枝が僕に向かって伸びてくるではないか。
僕は何かの本で読んだメデューサを思い出した。
「もう駄目だ」そう思って両の手で頭を抱えた。
「!んふぅんん〜ん?頭にあるはずの毛がないぞ!!」
カーテンの隙間からまぶしく射し込む朝陽に、目を覚ました。


私が小学6年生のときにキャンプで肝試しをしたときの話と、
大人になってからみた夢と、フィクションを混ぜたお話。
髪の毛のことを言うと、私の結婚が決まったとき口の悪い上司から
「おまえ。禿になる前に結婚できてよかったな。」なんて言われた。
今では髪の毛が煩わしくて、「早く毛が完全に無くならないかな」なんて思っている。


娘がまだ3歳か4歳だったころ。
家電製品のランプが赤くポツンと窓に映っているのを見て、
「あれなに?」と聞いた。
私は「あっ。窓ピカ小僧だ。」と言った。(←もう少しまともな名前をつけられそうなものである)
「ああやって窓の外から子供を見ていて、我侭な子とかいつまでも泣いてる子がいると夜さらいに来るんだよ。」
「大きな釜で子供をゆでて、塩をかけてパックンと一呑みにしちゃうんだ。」
そう言うと娘は「へえ。怖い。」と言った。
私は「しめしめ、これでしばらくは窓ピカ小僧を使えるかな。」と思った。
その後娘はいろいろと聞いてくる。
「ねえ。窓ピカ小僧って夜しか来ないんだね?」
「ねえ。窓ピカ小僧ってずっと動かないんだね?」
そのたびに私は適当に答えて誤魔化していた。
ある日娘が、
「ねえ。窓ピカ小僧ってどれぐらいの大きさ?」
私は、
「まあ小僧ってぐらいだから、これぐらいかな。」
と言って、娘の背丈より少し大きいぐらいを手で示した。
すると娘、
「窓ピカ小僧ってよく子供を飲み込めるよね?」
私はとうとう誤魔化せなくなってしまった。

さて娘がだまされていたのだろうか?
それとも私が娘に付き合ってもらっていたのだろうか?
posted by はまべせいや at 16:15| Comment(4) | TrackBack(0) | 季語に思う | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月11日

御器噛(ごきぶり)

子供のころの話。
夏とは言わず、家によくごきぶりが出没した。
せっかくお気に入りの漫画を見ていても、ご飯を食べていても、
そうなると気分は台無しである。
気分よくしているところに現れて、
病原菌うようよの体でそこらを歩き回る。
まったくもって不届き千万。
ごきぶりが出没すると、私はほうきと殺虫剤を持って追いかけることになる。

ある日。
いつものごとく、ごきぶりが現れた。
早速退治に出動。
ほうきを振り上げながら隅に追い詰め、殺虫剤をシュー...。
と思った瞬間。
そのとき確かに、ごきぶりの目が光りこちらを睨んだような気がした。
なんと、こともあろうに私に飛び掛ってきたのである。
避ける間も無く、私の鼻の頭に彼奴はとまった。
その恐怖といったら、大変なものだった。
咄嗟に手で払いのけた後、
獲物に逃げられ、屈辱感に襲われながら
顔を洗っている私がいた。

てかてかと光る背中。
カサコソとすばやく走り抜けるところ。
やたら長く、いやらしく動く触角。
薄っぺらく流線型の体...etc。
人によってごきぶりの嫌いなところは違うだろうが、
なんと言っても、病原菌を媒介することが嫌われる大きな要因だろう。

何億年も昔恐竜が誕生する前から、地球上に生息していた生命の先輩。
自然界の木々の中に生息していれば、
病原菌の媒介者とならずに済んだかも知れないのに。
ほんのついさっき誕生した人類の家にちょっと間借りしただけで嫌われ者。
彼らはなぜ人類の家に間借りするようになったのだろうか?
自然の木々の中での生存競争に負けたから?
それとも彼らは人類の家により適したようにつくられていたから?

近縁種といわれる鈴虫やこおろぎは嫌われ者ではないのに。
後から地上に現れて彼らの生息する場所を切り開いたのは人類なのに。
ちょっとだけかわいそうな気がしないではない。
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2005年07月04日

梅雨明(つゆあけ)

雨がなければ困るのは知っているし、
そこそこの雨足の中、傘をさしてぶらぶらと歩くのも
なかなか乙なものであるとも思っている。
それでも、お天道様をまともに拝むことができず、
じめじめとしたうっとうしさが長く続くとなると、
やはり、心に負担を感じてくる。

おそらく一生涯忘れられない梅雨明けを、小学校5年生の時に経験した。
夏休みを間近に控えた七夕過ぎ。
今日も雨か、あっまた今日もだ。と毎日雨が降り続けた。
一学期の終業式の前日の晩までだったか、当日の朝までだったか?
それは定かに覚えていないのだが、長靴を履いて学校に行ったのだけは確実である。
まさに終業式が終わったあと、
ギラギラ光る夏の日差しのもと、クラスのみんなで校舎前の花壇で何かの作業をした。
作業の内容は忘れてしまったが、水溜りで遊んでいたから長靴を履いていたのは確実なのだ。
みんなで「梅雨が明けたね」「気持ちいいね」「外で遊べるね」
なんて言っていたのを思い出す。

待ちに待った夏休みがやってきて、しかもその開始の日に明らかな梅雨明け。
私ならずとも、子供たちには最高のプレゼントだったろう。
私は、その夏もいつもの夏のように
ひょろひょろ、まっくろ、どろだらけ
の牛蒡になって遊んだのであった。

最近「あっ!梅雨明けだ」と実感できる梅雨明けの経験がない。
地球規模の気候の変化。
自分自身の生活、心情、感性の変化。
さて。どちらが大きいのだろう?
posted by はまべせいや at 18:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 季語に思う | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月27日

蚊帳(かや)

私が幼少のころのある夏。
母の実家の大部屋で、蚊帳をつって三世代で枕を並べて寝ていた時期があった。
私は蚊帳が大好きで、布団を敷く気配を感じると
布団の上を跳び回り「はやく、かやだそうよ」とせがんだものである。

家業を営んでいた母の実家で、幼い私は放し飼いの猫のような状態。
いつも一人で気ままにぶらぶらと遊んでいた。
一人遊びは慣れたもので、友達と遊んでいてもいいかげん飽きてくると
「もう帰ってよ」なんて言っていたようである。

蚊帳の中は昼とは違う一つの閉じられた世界に感じられた。
その閉じられた空間の中で、家族みんなが眠る。
私はそのことがとてもうれしかった。
一人遊びには慣れていたが、やはり一抹の寂しさは感じていたのだろう。

家庭内で孤独を感じている人が多いと聞く。
昔からそうした事態はあったのだろうが、
私の察するに増加傾向にあるのだろう。
昨今はお爺ちゃんお婆ちゃんが常に見ていてくれる家庭も減り、
親も忙しい。子供も忙しい。
私が言うまでもなく、みんなばらばらで
特に子供にとって家庭は希薄なものになっている。

私の幼少のころも家族と一緒にいる時間は短かった。
でも一抹の寂しさはあったものの、家庭内で孤独を感じることはなかった。
それは幼少の一時期の私にとっての蚊帳に象徴されるように、
時間は短くても家族みんなで仲良く息づく”時空”があるんだ感じていたから。

私にとっての蚊帳に象徴されるような”時空”。
一日のうちのほんの少しの時間でもとれれば、
そしてほんの少しの時間が意味のある時間と感じられるならば、
家庭がもう少し存在感を増して来るのかもしれない。
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2005年06月20日

黴(かび)

小学生のころの話。
そのとき私はなぜか非常におなかを空かしていた。
ご飯はジャーのなかにあった。
あとはおかず、おかず。何かないかなぁと探していると、果たしてありました。
茶箪笥の奥から、黄な粉がでてきた。
よしよし。これで腹いっぱい食えるぞ。
そう思って、私はご飯に黄な粉と砂糖をまぶした。
!?...。
黄色いと思っていた黄な粉が緑色をしている。
あっ、そうか。私はすぐに思い出した。
幼稚園のとき祖母が緑色の黄な粉を出してくれて、
「これは青黄な粉っていって、上等なんだよ」
と言っていたのを。
これは絶対おいしいぞ、と黄な粉ご飯をほおばった。
!?...。
酸っぱいぞ。まあいいや。食べちゃえ!

その後、母に「この黄な粉でご飯食べちゃった」と言ったら
母の顔が青黄な粉張りの色になり「おなか痛くない」と聞いてきた。
「うん。痛くない。」
私はあんまり聞かれるのが面倒なので、そのまま寝てしまった。
青かび黄な粉を食べた私であったが、大きな騒動も無く五体満足を保っている。

青黄な粉が一般消費者から遠ざかって、もう数十年は経つのだろう。
今でも高級和菓子用に少しは作られているらしい。
この青黄な粉の材料は、青大豆といって実が青い。
葉が実を覆うようにつくため、実が青を保つらしい。
そして、実には糖分が多い。
そう来ると栽培する上で病害虫の問題が発生しやすく栽培が敬遠されて、
その結果青黄な粉は世にも珍しいものになったのだろう。

これは現在の話。
「奥の松」酒造の亀の尾純米大吟醸原酒という酒がある。
いや、あったと言うほうが正確かもしれない。
亀の尾というイネの品種は、
酒米ではないが日本のうまい米の品種をたどると必ずたどり着くという品種らしい。
この米で酒を造ったらどんな酒になるのか?
そうして生まれたのが、くだんの酒である。
これが味覚の線は細いが、華やかに香りなんとも晴れやかな気分にしてくれる。
しかし、この酒はもう造らないという。
それは亀の尾という品種はどこにも栽培されていないし、
酒蔵独自で栽培するのも限界があるからだ。
この品種、草丈が高く倒伏しやすく栽培が非常に難しいのだという。
ああ。残念。

私が言うまでもないことだが、
効率は果たして本当に幸福をもたらしてくれるのだろうか?
そんなことを思う。
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2005年06月13日

更衣(ころもがえ)

半そでのシャツが心地よい季節になった。
私が中高校生のときは「半そでからでた 手が恥ずかしそう♪」
なんていう詩でうなずけたものであるが...。

最近では夏も冬も関係なくのべつ肌を出している感もあるが、
やはりこの季節を迎えるとさらに露出度がアップしてくる。
私のごとき親父などは、そわそわ、どきどき。
チラッと見た視線の裏から、助平心が透けて見えやしないか?
こちらの方が恥じらいを感じてしまう。

みんな薄着になる夏ではあるが、なかなか薄着にならない種族がいる。
そう。会社員の親父族がそれである。
私もその種族に含まれる。
別にスーツを着ていかなくてもよい職場なのであるが、
やっぱりスーツを着て出社してしまうのである。

何を着ていこうか?考えるのが億劫なのですねぇ。
スーツならネクタイをどうするか考えるぐらい。
ポケットが多いのも便利。
自分に最も似合う姿が、やっぱりスーツなのだろうなぁ。
そんなことも思う。

第一親父族には無難なところだよね。
仕事をこなす男は夏でも涼しい顔してスーツを着こなす。
私はそんな古い考えを捨てきれないのである。

暑いのは我慢すればよい。
でも困るのは汗なのだ。臭いし不潔。
自分だけじゃなくて回りも迷惑だもんね。
年齢を重ねたらやっぱり清潔じゃないと。

今年も気を使いながら、スーツを着て出かける季節がやってきた。
スーツに変わる日本の夏の親父族のスタイルができないものだろうか?
官邸や省庁ではノーネクタイでワイシャツというスタイルをPRしているようである。
こと、習慣や個人の趣味にかかわるところ。
どこまでそれが浸透するのであろうか?
いっそのこと作務衣でもPRしないかなあ。

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2005年06月06日

風薫る(かぜかおる)

学生時代を過ごした地方の小都市の、
街外れにある私のアパートから原チャリで30分ほど飛ばしたところにその山はあった。
風薫る五月はもう過ぎてしまったが、
その小都市の周辺では、
郊外のちょっとした山や公園、ハイキングコースなどを歩くのに、
今頃がちょうどよい季節であろう。
学生時代一人の時間を持て余すと、よくそこに出かけたものだ。

平地から少し登ったところに、
平らなら野球ができるくらいの広さの広場があり、
そこから私の住む街を一望できた。
その広場から上は適度に整備され、適度に自然な山があった。
平日に気ままにそこに来るのは私一人くらいのもので、
山を一人で独占できた。

日本では今ぐらいの季節が一番日差しの強いときであろうか?
山道を覆うぶなの葉がつくる木陰は、
潤いを感じさせ、それでいてじめじめしているわけでなく、
ひんやりとして、それでいて暖かい。
木陰が無ければ容赦なく照らされているであろう私を、
やさしく守って包んでくれる。
歩を確かめながら。
ゆっくり、ゆっくりと登る。
この単調な動作がなんとも心地よい。
考えることも、思うことも停止して、
ただ規則的な呼吸を意識しながら登る。
五感に自然に感じることを楽しみ、
心に浮かぶイメージをそのまま転がす。

すぅっと木立の間を通る一陣の風に、山の命の香りに濃淡ができる。
ふと立ち止まってその風を深呼吸する。
山と自分の呼吸が一緒になったと感じる瞬間である。
そんなとき私はあたかも山全体が一つの自分になったような感覚を覚える。

学生時代にはよく味わった感覚である。
「もう一度あの山に登ってみたいなぁ」などと考える昨今である。
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2005年05月30日

蝸牛(かたつむり)

自分がかたつむりだったらな。
なんて誰もが一度は考えたことあるんだろうな。
今風に言えば差し詰めキャンピングカーに生活し、
移動できるところ全てが自分の住まいだよ。
なんてところだろうか?

蝸牛とは昔の人はよく表現したものである。
うずまきの荷物を背負い込んで、
角をだしてゆったりと進んでいる様は牛車そのものだ。
牛車と馬車では、高貴な人は牛車を使ったと聞く。
先を急ぐことなく、牛車にゆられてゆったりと。
そんな感じに花鳥風月を愛で、感慨にふけりながら歩んでいきたい。
思えば駆け足で歩んできたような人生。
これからも駆け足で歩んでいくのだろうけど。
歩を緩めて歩む「とき」が最近本当に大切に思えてきた。

「ででんでんでん」と歌い?ながらゆらりゆらりと歩いていた自由人は、漫画の浮浪雲。
浮浪雲は、やはりでんでんむしに牛車をみるのだろうか?
心には自分しかなく、強い信念の持ち主。
浮浪雲はそんな人物として描かれていたような気がする。
自由は誰から与えられるものでもなく、自分の心に存在する。
自分を見つめていると、不思議と世の中の”そこかしこ”に自分が生きているような感覚を覚える。
世の中の全てが自分であり、自分の中に全てがある。
そんな思いを抱いて思惟にふけると、そこにおそろしく自由な自分がいる。

「で〜んでんむ〜しむし♪」と歌って、
「かたつむりって言うより、でんでんむしって言ったほうが似合うよな」と娘に言うと、
娘は「かたつむり」と冷たく言い放った。
それを聞いていた妻は「かぎゅうぅ〜。」と叫んだ。
「君は牛車が似合う平安美人だね」と返そうとしたが口を押さえた。
妻にとって最も微妙なことを意味する言葉であった。
なるほど。
無益な蝸牛角上の争いはこんなところから始まるのかもしれない。
この手の論争は不得手である。
最近地上の争い事にはとんと無頓着になってきた。
とは言え。蝸角に住む以上は、公序良俗にしたがって生きていくんだろうな。

蝸牛全体を感じずして蝸角で争うのも自由。
蝸牛全体を感じて愛でるも自由。
あなたは、どちらの自由を選びますか?
posted by はまべせいや at 17:47| Comment(2) | TrackBack(0) | 季語に思う | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月23日

サイダー(さいだー)

商いをしていた母の実家の裏に曾祖母の隠居場があった。
幼少のころの私は一人遊びに飽きるとよく曾祖母のところに遊びに行った。
私が遊びに行くと大抵はサイダーの瓶を開けて飲ませてくれた。

私が5歳くらいのときだったろうか?
当時の私には、子一時間は歩いたような気がするのだが...。
曾祖母と散歩に出かけた。
その帰り、私はとうとう歩くのがいやになっておんぶをねだった。

曾祖母はかなりの苦労をして商いを始め、
そのため肉親に対して愛情を示している時間も無かったと聞く。
その曾祖母に長い道のりをおんぶしてもらった。
大人になった今でも
「あの、おばあちゃんにおんぶしてもらったなんて、せいやぐらいだよ」
と言われる。
商いを引退して安心感もあったのだろうか?
様々ないきさつのある私を、不憫に思ったのだろうか?
そのおんぶは、たまさかの僥倖だったのである。

学生時代、気分がしょぼくれていた時期があった。
その気分は多分私の姿勢にも現れていたのだろう、
曾祖母は私に会うと必ず
「胸を張って姿勢を正しくしないとみっともないよ」
と言った。
まだまだ子供で反発もあったが、
「みっともない」と言われれば気になるものである。
それ以降私は姿勢に気をつけるようになった。

自分自身では姿勢が良いかどうか判じかねるのであるが、
「社交ダンスをやられてるんですか?」と聞かれたり、
「おまえ、姿勢だけはいいよな」と言われたりする。
どうやら、「曾祖母から言われた言葉は無駄ではなかった」ようである。

当時のような瓶入はとんと見かけなくなったが、
サイダーを飲むとこんなことを思い出す。
posted by はまべせいや at 17:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 季語に思う | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月16日

安居(あんきょ)

木立の下に寝そべって、木漏れ日とそよぐ風を楽しむ。
じっとしていて暑くも寒くもなく、心地よい季節。
一雨ごとに緑の色が鮮やかになり、葉擦れの音が耳に優しい。

このブログのどこかに書いたかもしれないが、
私は夏休みの宿題を全くやっていなくても、
その先の遠足を考えることで、不安を忘れられる子供だった。

さすがに、ささやかではあるが社会的な責任を果たしてる今となっては
そこまで達観?はできないが、その魂を受け継いでいるところが多い。

どんなに大きな問題を抱えても、今日はここまでと決める。
できないことは、
明日具体的に何をやったらいいかまでを考えておいて、寝るまでには綺麗に忘れる。
難しい問題を抱えそうになっても、
不思議なことにどこかから有り難い導きをもらえる。
そして「ここまで」と決めて、できないことはお願いし、
突っ走っていくうちに漏れがあると誰かがフォローしてくれていたりする。

私は、ストレスを忘れちゃう天才。
そんなことを考えながら、妻に「俺って天才だよな」と唐突に言うと
「何言ってんの」と鼻で笑われるのであるが、
私は「まあ、そのうち俺の天才ぶりがわかるさ」と答える。

「決算で苦労しようがしまいが、五月の木漏れ日はやってくるのだ」
そう思いながら、今日にたどり着いた。
思えば不思議なめぐり合わせのうえに私の安居は成り立っている。

「ありがとう」を言った回数だけ心が安らかになっていく。
posted by はまべせいや at 17:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 季語に思う | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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