2006年02月13日

納税期(のうぜいき)

近所の税務署の周りで交通整理をしているのを見ると、もう春も近いなと思う。
過去にちょっと税金が戻る要素があって、
そして「確定申告なんて大人じゃん」なんてファッションみたいに考えていた時期があった。
また住宅取得で税金を取り戻すには確定申告をしないといけないなんて時もあった。
そんなこんなで何度か自分で確定申告をしたのであるが、でもそれも過去のこと。
私はサラリーマンで年収も確定申告をするまでに至っていないし、
申告したところで納税額に大きな変動があるわけではないし、
なんといっても仕事で数字ばかり見ているのに家では数字を見たくないという意識が働く。
よって今は確定申告なんて全くやる気なし。
妻が領収書を集めて少しでも税金を取り戻そうと確定申告をしようとしているようだ。
妻に感謝なのである。

私が会社で決算業務を行い確定申告を行う季節は、個人の確定申告の季節の後のこと。
春爛漫のその季節が最も緊張して数字と睨めっこの季節とは、
経理とはなんとも因果な商売である。
正しく企業の財政状況を反映させるために求められる企業会計と、
公平にそして少しでも多く税金を取ろうという税務計算。
この両者の間を埋めるための仕組みや計算が非常に面倒だ。
何とかならないものかなと思う。
去年の夏、私の会社が税務検査にあった。
その後の社内のレポートを作成するとき
「税務上」と変換したいところが「税無情」と変換された。
全く「税無情」だよなと、膝を打って一人にやけてしまった。

法や条例を侵した企業は罰せられるべきである。
そうしたことを行ってしまった企業を弁護するつもりはない。
しかし行政の求める税務計算と一般の社会が求める企業会計とが乖離しているように、
行政の求める企業の方向性と一般社会の求める企業の方向性に微妙なずれが生じているように思える。
そして、そのことが社会にひずみをつくっているような気がする。
できるだけ税負担を少なくして国の借金を返す。
そのためには民間にできることは民間に、小さな政府を目指す。
その方向でおおよその国民のコンセンサスは得られていると思う。
これは企業にビジネスチャンスの拡大を与えてくれる。
しかし今まで行政が執行していた国民へのサービスの一部を、
民間企業が負担するということでもある。
民間企業は不特定多数のなかから”より多く”のニーズを探り当て、
そのニーズにあったサービスを提供して利益を出して行こうと躍起になっている。
少数の人のニーズに対応していては
高コスト体質になってしまい利益を上げるには価格にコストを転嫁せざるを得ない。
これでは安くて良いサービスを望む”より多く”のニーズに応えることができない。
顧客離れが進み、企業としての存続が不可能なものとなってしまう。
行政サービスの負担を求める行政と低コスト体質を求める消費者と。
企業はその狭間でなんとか両者の折り合いをつけようとして努力する。

大多数の企業は、新たに負担せざるを得ないサービスをそのまま負担するだろう。
本当に企業としての存在理由を考えている企業は、
さらにその負担のなかに新たな価値を創造して利益に結びつけることを考えるだろう。
そして目先の利益しか考えず多少ズルしても構わないと考えている企業は、
負担すべきサービスを削って相対的にコストを下げて価格競争するだろう。
意欲と知恵のある企業が新しいサービスを生み出すにはよい社会だが、
意欲と知恵にそれほど優れていない大多数の企業では
法律や条令を受け止めて遵守していくという
品性がますます問われる社会になってきたと言っていいと思う。

一般の消費者はどういう状況に置かれるのだろうか?
上記のような企業の状態を理解し、新たな価値を作り出している企業を見極める。
またズルをして価格競争している企業はないだろうかと見極める。
そんな力をつけなければならないだろう。
また今まで行政サービスが行っていた負担は、一般の消費者にも回ってくる。
消費者として個人の立場においても自主自立で生活していかなければならない。
個人としても”見極めて頼らない”ということが責務であり、
それを果たすということがますます品性として求められることだろう。

現在、社会のコンセンサスと言える小さな政府作りには、
企業にも個人にも知恵と品性が求められる。
知恵や品性の成熟が小さな政府作りに追いつかないとき、
ちょっと困った社会になるのではないかと思う。
買い物をするときに見極めるのを面倒がる。
自分の確定申告を面倒がって、「税無情」なんて言って喜んでいる。
あれも面倒これも面倒と、何かにつけてまず面倒という言葉が頭によぎる。
そんな私はこれからの社会で、
きっと困った人に分類されていくことだろうと思う今日この頃である。
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2006年02月06日

下萌(したもえ)

下萌:地中から草の芽が出ること。出た芽。(講談社日本語大辞典)

季節の草が萌え出ずるころにはまだ早いだろうか?
まだまだ寒いとはいえ、
常緑の林の中には枯れることを知らずに下草が茂っている。
須田国太郎という画家がいる。
その画家の作品中に森の下草をモチーフにした絵がある。
「業」で「なりわい」と読ませたか、「生業」で「なりわい」だったか?
思い出せず、調べられずである。
(多分前者であろうが、正確なことを知っている方は教えてください)
その絵は木々に葉が見られない。
ということは冬から早春か?
でもあれだけ下草が繁茂しているということは夏なのか?
下草の木漏れ日を浴びている感じからすれば、
実は木々に葉が茂っているのか?
よく分からない。
調べたり考えたりすると、この言葉でこの絵を指すのは適切でないだろう。
やはり季節や場所が違う気がする。
でも「下萌」という語感がこの絵に合うような気がした。

良く晴れたのどかな昼下がり。
ゆめとうつつをいったりきたり。
そんな感じで過ごす食後のひと時が幸福に感じられる。
木漏れ日の光と影があればなおのこと。
やさしい光のゆりかごにゆられているような感覚を覚える。

まだ日の昇る前の早朝。
リビング・ダイニングのダイニングの電球だけに灯りを灯す。
電球の下に身をおいて、アナログにほの暗くなっていくその空間で過ごすひと時。
そんなひと時が私の日常の中でも最も心が静まるときである。

恋人の語らう食卓を灯すキャンドルライト。
心理学の調査ではキャンドルライトの光の量が、
人間を一番正直にするという。
どうやら二人の間で大切なことを話し合うときは、
キャンドルライトのもとがいいようである。
陰影のある光は心の陰影まで映し出す。

人は誕生した瞬間どのようにこの世を見るのだろうか?
まぶたは閉じているものの光は感じるはずである。
まぶたを通して感じる陰影の世界。
木漏れ日の光にも似た感覚で赤ちゃんは感じているのではないだろうか?
人生初めての光の感覚というのは重要なのかもしれない。

森の木漏れ日の中で芽吹き、根を張り、繁茂していく。
そこにはやさしい光に包まれた小宇宙が存在する。
森の下草たちの”なりわい”。
須田国太郎の絵から、ほの暗い光の中で育って生をつないでいく下草の生命の物語を感じる。
さらには、
ほの暗い木漏れ日のような光の陰影に幸福感を感じて
その光のゆりかごのなかで生をつなぐ我々人類の、
”なりわい”といったものを感じるといったら、
それは言い過ぎなのだろうか?
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2006年01月30日

冬の星(ふゆのほし)

三年生の二学期までは、
授業だけでも真面目に受けて、あとはいける高校にいければ良いや
そんなことを思っていた。
それでも冬休みが終わって周囲の受験の雰囲気が強くなってくると、
私もそんな雰囲気に流されて、少し勉強しないといけないかな
なんて気分になってきた。
受験までに何とか全部できそうな問題集を買ってきて机に向かった。
それまで家で机に向かう習慣はほとんど無かったが
案外集中して問題集を解いていたと思う。

問題集を解くのに疲れてくると、私は小型の双眼鏡をもって屋根に上った。
冬の冷たく澄んだ夜空にぎらぎらとまばゆい星々が輝いている。
あれがオリオン座。冬の大三角形があって。ここがおうし座。
星座をたどったあとは、双眼鏡ですばるやオリオンの大星雲を楽しむ。
こうして気分転換をした後、再び机に向かう。

オリオン座の足元に当たる部分に端を発し、
西へ東へとうねりながら南に流れているのはエリダヌス座。
私はその星座の流れを追ったことはないのだが、こんな話は読んだ。
少年ファエトンは、離れて暮らしてはいるものの火の神ヘリオスの息子。
はるばる父をたずねていくと、父が何でも望みをかなえると言った。
ファエトンは渋る父に何でも望みをかなえると言ったのだからと、
父の引く太陽の車を自分が引くことを了承させてしまう。
四頭の天馬が引くその車をファエトンが走らせると、
その天馬が勝手気ままに走り出した。
手綱を取り落としてしまい、天変地異まで起こしてしまった。
大神ゼウスもこれはと思い雷電の矢を投げつけて、
馬車もろともファエトンはエリダヌス河に落ちていった。
エリダヌス河はファエトンをやさしく受け止めて冷やしたが、
ファエトンが息を吹き返すことはなかった。

たとえ神の子であっても神と人とは絶対的に違うのだ。
分をわきまえよというところか?
自分のできることを知り、それをやり遂げること。
自分の受け入れられるものを知り、その範囲で満足すること。
簡単なようでいて案外難しい。

他人がいとも当たり前のことのようにやっているのを見て、
あれなら自分もできるんじゃないかと思う。
自分も他人の真似をしてみるのだけれど、なかなかうまくことが運ばない。
それもそのはず相手はその時点での結果だけを見せているのだから。
結果として他者に見える前には、他者が見過ごしていた経過があるはずである。
また、もって生まれた能力にも違いがある。
他人の結果だけを気にしていては自分自身では何もできない。
自分自身を見つめる中でその能力を見極めて、
そこで自分が乗り越えるべき適正な目標を定める。
そうしたところから自分自身の結果が現れてくるものだと思う。

実は私はそうして積み上げていけば、
いずれは太陽の車さえも引けるようになる日がくると信じている。

大学受験のときはさすがにいくらか欲が出てきた。
二年生くらいから本格的に受験を意識しだした。
他人がどんな勉強方なのかを見聞きして、あれもこれもやってみた。
しかしうまく勉強がはかどらなかった。
そしていよいよという三年生の秋くらいから、やっと高校受験のときを思い出した。
できることに絞り込んでから、勉強が手に付きだした。
もちろんそのときも、気分転換は秋から冬にかけての星々だった。
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2006年01月23日

ストーブ(すとーぶ)

達磨ストーブを実際に見たことがある人というのは、
ブロガーとしては高齢なほうであろうか?
先生や体格の大きな同級生が分担で石炭を教室に運んできていたような気がする。
三年生の冬から達磨ストーブが石油のストーブに取って代わった。
実際に達磨ストーブを使っていたころのストーブに対する記憶というのはあまりないのだけれど、
石油ストーブに取って代わられた後、
ずいぶんと長いこと校庭の隅に達磨ストーブが置かれていたことは思い出す。
使っていたころは大きく見えたストーブも、
成長していく私にとって日々小さな存在になって行き、
最後にはいつの間にか校庭から消えていた。

私の世代で脱脂粉乳を飲んだという人はごく稀だろう。
私の通っていた小学校は歴史が古い分、
かえって新しいものに取り残されていたのかもしれない。
しかしこれも三年生のときから、牛乳に取って代わった。
脱脂粉乳の記憶は、だるまストーブの記憶と違ってかなり強烈だった。
三年生になって初めての給食で、
脱脂粉乳のやかんのかわりに牛乳があったのでみんなが喜んだ。
あのにおいにはやはり皆が閉口していた。
おかずは量が多そうな器からなくなっていくのに、
脱脂粉乳の器は多そうな器がいつも残った。
先生はおかず・パン・ミルクとバランスをとって食べなさいというけれど、
私はそんなこととてもする気が無かった。
いつも一気にお腹のなかに流し込んで、パンやおかずで口直しという方法で飲んでいた。

私が入学したころはすべてが木造の校舎だった。
階段を皆で昇るだけでゆれたような気がする。
そんなあやしげな校舎もあったような記憶がある。
このことが変わっていくのもやはり三年生になってからのことであった。
三年生になってから五年生になるまで、
仮設の教室・木造の校舎・鉄筋の新校舎をめまぐるしく移動して、
五年生の二学期からどうやらすべての児童が鉄筋の新校舎に入ったと記憶している。
五年生の夏休み前の終業式の日。
この日もみんなで木造の古い校舎を掃除した。
この校舎も夏休みが終わったらなくなっちゃうんだね。
でもみんなで最後まで床をきれいに磨いてあげようね。
先生の号令のもと、みんなで最後まで掃除した。
台風一過の青空の下、気持ちいいねと言いながらみんなで掃除した校舎を見上げた。
何もかもが晴れ晴れしく感じた夏休みの始まりだった。

私が小学生だった時代はそんな時代であった。
学校の外でもどんどん便利になり、戦後が消え、鉄筋に囲まれていった。
功罪はあったかもしれないが、あのころは変化がそのまま成長に感じられた。
まあ昔を懐かしんでばかりもいられない。
我々はこれから子供らに何を与えていくのだろう?
そちらの方を考えていきたい。
達磨ストーブから思わぬほうへ話がいってしまった。
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2006年01月16日

冬の雲(ふゆのくも)

入道雲もくもくの夏。
真っ青でどこまでも高い空にひつじ雲。
低い空に棚引いたようにかすむ春の雲。
春から秋までの雲のイメージというと、
大方こんなところで日本全国まとまるのかな?

さて。
冬の雲というとどんなイメージだろう?
これがなかなかイメージがわかない。
冷たい雨の降る日の真っ白な空のイメージくらいだろうか。
イメージがわかないということはどういうことか。
それは私が圧倒的に長い間、
冬晴れが何日も続く地域に住んでいるということだ。

でも冬晴れの地域でも注意深く空を見ていれば、冬にも雲はあるわけで。
私の会社から見る夕日は様々な条件から、冬が最も美しく見える。
その夕日も冬だからといって、雲ひとつない空に見るということは稀である。
水平線、地平線付近には霞のようなはるか遠くに見る層雲のような、
そんな雲が大体は見える。
その雲が夕日を様々に変化させて見せてくれる。
刻一刻と変化していく光は、いくら見ても飽くことを知らない。
なんとも贅沢な感じのする雲だ。

冬の雲と言われて、
鉛色で暗く低く垂れ込めた重々しい雲というイメージを浮かべるのは
雪国の人たちだろうか?
私も何回か雪国の冬を過ごした。
ついの晴れ間もあっただろうが、
晩秋から春先にかけて常に雲に覆われているような気がして気が重かった。
初めての冬はその他のこととも重なって、
現実的なことは何も手がつかない状態を過ごした。
こんなにお日様も拝めない状態で、
よくもみんな平然と暮らしていけるものだ。
そんなことを常に考えていた。

日本全国の都市と呼ばれる地域はどこも均一化され、
市街地の日常生活だけをとればほとんど地域性がなくなっていると言って
差し支えないだろう。
でも冬の気候だけは分かれる。
生まれてからずっと雪国の冬を過ごしてきた人たちは
日差しのほとんど感じられない数ヶ月を当たり前のこととして過ごし、
そのなかで子供の時分からその季節ならではの遊びで楽しむ。
冬を迎えるのにちょっとした気持ちの入れ替えが必要だ。
一方冬晴れの地域では風の無い日溜りにいれば、
真冬でも上着一枚で快適にいることができる。
雪国でいう本当の冬ではない。
冬だからこうだと言う意識は希薄で、
少し寒い秋をなんとなく過ごせばいずれ春がやってくる。
冬を迎える気持ちの入れ替えは不要である。

このことが二つの地域で生きる人々に与える影響というのは大きいだろうと思う。
冬を冬として当たり前に受け止めて、そのなかで季節に応じて生きてゆく。
そうして育った同世代の仲間を見て、
私は強さとしなやかさをもっているなと感じた。
光があり物体があれば必ず影ができる。
その影を見なかったことにしようというのでなく、自分で引き受ける。
引き受けた上でその影とうまく付き合っていく。
そんな強さとしなやかさ。
冬という季節を通して、自然に身につけてきたんだな。
そんなことを思った。
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2006年01月09日

双六(すごろく)

子どものころ、よく自分で双六をつくって一緒に遊ぼうと親にせがんだものである。
できるだけ長く一緒に遊んでもらいたいので、上がりに近づくほど難しくしたりして。
ゴール直前でスタートまで戻ったり、
行きつ戻りつしないと通り越せないところがあったり。
最初は付き合っていた親も、次第に関心が双六から別のところに移ってゆく。
あ〜あ。もっとやってもらおうと思ったのに。
これくらいで我慢してやるか。
つかの間双六を付き合ってもらってあきらめる。

私の娘もよく双六もどきをつくって、一緒に遊ぼうとせがんだものだ。
”もどき”というのは、双六がさらに複雑になっているからだ。
双六の途中でいきなりバトルが始まってそれだけでも複雑なのに、
さらにそのバトルのルールたるや複雑怪奇極まりない。
時代は繰り返すというのだろうか、
いつも私が子どものころと味わったのと同じようにちょっと気まずい感じで終わる。
それも最近は全くなく、
今思えばもう少し遊んだやってもよかったかなあ何てことも思う。

私がふと思ったことをノートに書き留めるようになってからのこと。
娘が母親にノートを買ってとせがんでいた。
何を始めるのかと思っていたら、ノートに自作のお話を書き出した。
これには私もしめたと思った。
きっと私の様を見て、何かをノートに綴りたいと思ったのだろう。
私よりも早い双六卒業だ。

そもそも子どもは親を目標として、その壁を乗り越えるか突き破るか。
そうしていくべきものだと考えている。
遊びの世界でもそうで、幼少のころはいざ知らず。
ある程度の年になったら親が子どもの遊びに入っていくのではなく、
子どもが親の遊びの世界に入っていく。
そういうものだと考えている。
自分が子どものころを思ってもそうであったが、
子どもは親の言うことなんかなかなか聞こうとしない。
親の行動を見て真似して、そこから共感し批判して学んでいくものである。

親を見て子が育つ。
親と子の歴史は繰り返す。
子育ての双六はまだまだ続く。
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2006年01月02日

初夢(はつゆめ)

初夢っていつみた夢のことを言うのだろう?
元日の未明にみる夢はその年最初の夢だし、
元日に寝床に着いたときの夢という気もするし、
暦には2日に初夢と書いてある。
諸説があってどれも決め手を欠くらしい。
まあ自分が一番気に入った夢をみた日を
初夢の日として置けばいいのかな?

初夢というと一富士二鷹三茄子がめでたいとされているが、
私はとんとそういう夢はみていない。
だからなのだろうか?
あまり大きな浮き沈みもなく、
鳴かず飛ばずでそこそこに半生を過ごしてきた。


ここからさきは、ちょっとだけ下品になります。
posted by はまべせいや at 11:17| Comment(0) | TrackBack(1) | 季語に思う | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月26日

冬の蝶(ふゆのちょう)

冬だというのに蝶が舞っている。
冬枯れの雑木林のなかを、いかにも頼りなげに。
常緑の樹冠からもれるひざしのつくりだした手品だろうか?
それとも可憐なうす紫の花が風に揺れているのを見間違えたのだろうか?
冬の蝶の記憶はこれまでにもあったのは確かである。
でもその記憶はついこの間まで私にとっては、
幻を見たという記憶に過ぎなかった。

春先に卵からかえった蝶の幼虫が成長して蛹となり蝶となり、
そして冬の来る前には卵を産み落として死に絶えてしまう。
私はそういうものだと思い込んでいた。
でもある日(比較的最近のことであるが)蝶の姿で越冬する種類もいるということを知った。

雑木林の中を歩いていて冬の蝶が舞っているのを見たのは、
このことを知ってから少ししてのことである。
蜆蝶という種類の蝶だろう。
大きさも羽の形も蜆に似ていて、
白といっても差し支えないくらいに淡い紫色をしていて、
小春の頃というには過ぎてしまったが、
風もなく日当たりのいい雑木林の下草の上を舞っている姿は
なおいっそう冬の日差しのほんのりとした暖かさを感じさせる。

やい。
君は日差しの暖かさに騙されて、冬だというのに浮かれまわっているな。
頼りなげで、儚げで、危なっかしいなあ。
そう声を掛けたくなる。

蝶のほうも私に何か言いたげである。
君だって僕が蝶の姿で越冬するのを知っていなかったら、
僕を幻かなんかだと思っていたんだろう?
君はなんて迂闊なやつなんだい?
僕は冬の眠りから、日差しを感じて自分の意思で目覚めた。
そして再び木陰で冬の眠りに入るのも、自分の意思でやるんだよ。
でも君は気がついたらこの世に生まれていて、
そしてこの世から退場するときも自分の意思で退場するんじゃないんだろう?
君の一生は冬に目覚める僕ら蝶よりも頼りなげで、危なっかしいんじゃないの?
こうして僕らが満喫しているあのお日様。
お日様に比べれば君も僕もなんとも儚いじゃないか。

でも。
蝶君。君は本当に幻じゃないのかい?
君とこうして歩いていると、
この大地もお日様も宇宙もすべて一切のものが
僕の心の中にあるような気がしてきた。
この宇宙にたった一つの意識。
意識のなかにたった一つの宇宙。
何もかもが

まる.jpg

に含まれる。
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2005年12月19日

聖夜(せいや、クリスマス)

もうすぐクリスマス。
老若男女を問わず特別な日となってどれくらい歳月がたっているのだろう?
外国の風習のいいとこ取りが得意な日本人の様式が顕著に現れた年中行事だろう。
周りにつられてあんまり空騒ぎをするのは私の性には合わない。
まあ。せいぜい国内消費を増やしてくれよ、と思う程度である。

そうは言うものの、私はO・ヘンリーのこの短編。
貧しい夫婦がお互いに感謝を示すために贈り物をするという、
「賢者の贈り物」という小説は好きである。
彼らは文字通り自分の身を切るような思いをして、何を贈ったのだろう?
私の言うまでもないことだろうが、
それは結果としてお互いの将来を目標を贈ることになった。
そして仲睦まじさはさらに強まった。

お互いに恋人同士で付き合っているとき、
結婚してもこれから家庭を作っていこうとしているとき。
そんなときは将来の目標のようなものがあって、
それが同方向を向いている限りはたとえ現実がどうであれ、
愛情というものはそうそう冷めるものではないと思う。
でも「ある程度家庭ができてしまった」と、
どちらかあるいは両方が思ってしまった瞬間に将来の目標は崩れてしまう。
そこに残るのは目の前の現実のみだろう。

男女の関係にしろ、その他の人間関係や契約にしろ、
将来がなくなって目の前の現実のみの関係になったとき、
恵まれた現実であればある程度幸福なのかもしれない。
でも。それが恵まれた現実でないならば?
互いに不幸となり、その関係は崩壊を始めるだろう。

未来があるから僕らは生きる。
未来があるから僕らは幸せ。
未来があるから僕らは悲しい。
それらのすべてが詰まっているこの短編を、クリスマスの晩にでも読み返してみようかな。
posted by はまべせいや at 17:54| Comment(2) | TrackBack(0) | 季語に思う | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月12日

焼き芋(やきいも)

「焼き芋もらってきちゃったから、一切れだけど食べる?」
先日仕事中に、どこからもらってきたのかパートさんが焼き芋を配っていた。
資料の数字が合わずカリカリしていて手を出すのも面倒な感じだったのだが、
折角のご好意なのでそれに甘えて一切れいただいた。
急がし紛れにその芋を口のなかに放り込む。
すると、ほんのりと素朴な甘みが口のなかに広がった。
それと同時に、心の中に湧き上がるかのように幸福感が広がった。
実際その幸福感たるや驚きに値した。

奮発して目の前にご馳走を並べてそれを食べるとき。
リラックスして銘酒を飲むとき。
確かにおいしいと思うし、幸福感にも浸る。
ご馳走や銘酒は焼き芋よりもはるかにおいしい存在。
でも焼き芋を口のなかに放り込んだときの幸福感は、
ご馳走や銘酒のそれを凌駕していた。

どんなに甘い食べ物も、この焼き芋以上に甘くてはいけない。
これ以上に甘みの薄い食べ物も味気ない。
私はそんなことを思った。
何の飾りもなく素朴なもの。
そんなものが人の気持ちを優しくし、幸福感に満たしてくれる。

情報が多すぎて、得てしてそうした情報に目を向けすぎてしまう。
そこにあるのは過剰に飾り付けを施した幸せ。
そういうものとついつい比較したくなってしまう。
比較する自分は不幸である。
過剰に飾り付けを施した幸せを手に入れても、
それはどうも虚飾の味わいにしか感じられない。
どこかしらよけいな媚のようなものを感じるとともに、
何かが欠けているような、そんな気がする。
落胆して後ろを振り向くと、もっと幸せをもたらしてくれそうなものが...。
情報に目を向けすぎているうちはその繰り返しである。

素朴な焼き芋の甘みに原点を感じた。
そう。原点。原点なのである。甘さの原点に触れた。
そんな気がしたとき、カリカリしていた自分自身もふと原点に戻ったような気がした。
自分自身の原点って何だろう?
原点に回帰したと感じたときに湧き上がる幸福感というのはなんだろう?
不思議な幸福感の余韻に浸りながら、半日仕事をした。
そして窓の外が茜色に染められるころ、再び口のなかに焼き芋の甘みがよみがえった。
posted by はまべせいや at 17:51| Comment(2) | TrackBack(0) | 季語に思う | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月05日

焚火(たきび)

”垣根の垣根の曲がり角 たき火だたき火だ落ち葉たき♪”
なんていう唄は、今時の小学生はもう唄わないのだろうか?
そういえばたき火をしているところなんて、
もうどれくらい見ていないだろう?
たき火の炎は身体を温める以上に、
心を照らしそして沈静させていくような、そんな力があるような気がする。

闇を照らす炎は夜行性の肉食獣をおびえさせて、
生身の身体ではとてもかなわない人間を守ってくれる。
闇におびえていた我々の祖先に安眠をもたらした。
そんな記憶が今も遺伝子に記憶されていて、炎で心が静まるのだ。
なんて説明を聞いたことがあるけど、
なるほどと思う反面それだけの説明では物足りない気がする。

たき火の炎をもう少し小さくして、ろうそくの炎はどうだろう?
ろうそくの炎は焚き火の炎以上に、心を沈静化させてくれるような気がする。
闇を照らすろうそくの炎はあたかも自分の心の中に灯るようで、
まるで自分の心が輝きを帯びてくるような、そんな安らぎを覚える。
果たして人の心の中に真に自ら光を発して、
穏やかに自分の生を全うして皆を照らすような、
そんな力はあるのだろうか?
ろうそくの炎を常に心に灯し続けられればいいな。
そんなことを思う。

炎を元の大きさに戻そう。
実家にいたころは庭でごみを燃やせたので、よくごみを燃やした。
炎はすべてのものを焼き尽くす。
好きなもの、嫌いなもの。
思い入れのあるもの、どうでもいいもの。
そういうものを燃やしながら心が静まっていった。
炎そのものを見て心が静まっていったのか、
あるいは自分の過去を映すものが目の前で灰になっていくのを見て、
感慨を感じながら心が静まっていったのか。
それは分からない。

さて。人間が制御しきれないほどになった炎はどうだろう?
たき火以上の炎は一人の人間で果たして制御しきれるだろうか?
炎を自由に使うようになったかとも思える人類。
世界中の炎の熱量を集めたら、
人口とたき火の炎の熱量の積ではとても収まらないだろうな?
炎の恩恵に浴しながらも、そんなことを思う。

焚き火の炎の不思議な魅力からさまざまに思いはめぐったが、
炎の魅力の不思議は依然として残ったままである。
posted by はまべせいや at 18:21| Comment(6) | TrackBack(0) | 季語に思う | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月28日

鎌鼬(かまいたち)

北風が身にしみる季節になってきた。
びゅ〜っと風が吹き付けるとまるで身を切るような寒さ。
建物にあたった風が特有の気流をつくっているのだろう、
ちりを巻き上げてミニ竜巻を起こしているのを見るとさらに寒さが増す。

かまいたちは瞬間的な突風が人の皮膚をかすめたとき、
真空状態ができてそのために皮膚を切り裂く現象だと科学で説明されている。
それはそれで事実なのだろうけど面白みに欠ける。
三人(匹?)組の妖怪がかまいたちを起こしているという話が私は好きである。
一人目が人を突き飛ばし、二人目が人に切り付け、三人目が傷口に薬を塗って、
すばやく通り過ぎていくという話である。
私は驚きや不思議、不条理に感じたことなどを、
人の知るところを超えた妖怪に原因を求めるという人々の思いが好きである。
おどろおどろしいなかにどこかユーモラスなところを感じる妖怪。
妖怪には人々の素朴な問いかけがある。

やっ。風も吹いていないのに家がゆれているぞ。柱もみしみしいい出した。
きっと”家鳴り”が家をゆらしているに違いない。
台所の隅で濡れたまま放っておかれている布切れは、
そのうち”白うねり”になって臭いを放って人に絡みついてくるぞ。
夕げの準備に取り掛かろうとすると必ず現われて玄関に座り込むあいつ。
人に迷惑をかけるのが大好きな”ぬらりひょん”に違いない。
などなど。
身の回りにはきっと妖怪がいるに違いない。

宮沢賢治の「座敷ぼっこ」の話風に。
こんな妖怪はどうだろう?

次々とたまっていく仕事に追われて、焦りと苛立ちを感じながらふと窓の外を見る。
するときれいな夕日がオレンジ色の暖かな腕を伸ばして肩に手をかけた。
一つ深呼吸をすると焦りと苛立ちが嘘のように消えて、パズルのように仕事を楽しみだした。
そんなとき、そこにいるのが”いみじ”です。
なんとなく部屋で横になっていて、ふと床に埃や小さなゴミが落ちているのに気がついた。
少しずつそれを集めて掃除しているうちに、床磨きまで始めてしまった。
きれいになった床の上で、幸福感に浸りながら横になった。
そんなとき、そこにいるのが”いみじ”です。
何気ない普段の会話の中でふと沈黙が流れた。
その後お互いに「ありがとう」と口をつき、笑い出してしまった。
そんなとき、そこにいるのが”いみじ”です。
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2005年11月21日

鍋焼(なべやき)

季語本来のさすところは、鍋焼きうどんではないそうである。

もともと食の細い子であった。
それが風邪で寝込んでいるとなおのこと。
何も食べずにただ布団のなかで寝ているだけだった。
こうなると母はもう私に食べさせることはあきらめて
ひたすら暖かくさせて熱を下げることに専念した。

私が子供のころのストーブの天井は非常に熱くなった。
そこの上にやかんに水を入れておいておくと、
沸騰して蒸気をあげるので加湿にもなった。
夜母が帰ってきた気配で目を覚ます。
母がストーブをつけるとそのぼうぼういう音と、
ちんちんとなるやかんの音を聞きながら再び眠りに入っていった。

私の熱が下がってくると母はよく鍋にうどんを作ってくれた。
私はそれでも大抵はすぐに食べない。
作られたうどんはストーブの上、やかんの隣におかれることになる。
そして出かけるときは、
「おなかが空いたらストーブをつけて、うどんを温めて食べな。」
そう言って家をでる。

母がうどんを作るころには少しずつ元気が出てきて、
布団から出て本を読んだりもする。
そしてストーブをつけるのだが、
それでも以前食欲はなくうどんは煮詰められていくことになる。

うどんを作ってもらってから一昼夜ぐらいするとやっと食欲が出てくる。
そのころにはうどんの麺は半分溶けていて、たれそのものの色になっている。
私はそれをおいしいと思いながらぺろりと平らげる。
うどんを平らげればしめたもの。
翌日早く学校に行きたいという思いを抑えて用心のために休むと、
その次の日には元気よく家を飛び出していった。

うどんの麺はつるつる、しこしこ、もちもちが良い。
人は言う。
私もそういううどんを食べておいしいなと思う。
でも私が本当に好きなうどんは、
実はストーブの上で煮つめられてでろでろのうどんなのである。
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2005年11月14日

白鳥(はくちょう)

学生のころ学校からアパートまでの帰り道、
気が向くと公園をぶらぶらと歩いた。
かなり広い公園の片隅に池があり、そこには白鳥がいた。
優雅に水上を滑るように見える白鳥も水中では懸命に足を動かしている。
そんなコラムを読んだのはそのころだったろうか?
(今よりも)心定まらず、将来への期待と不安が混ざっていた学生時代。
白鳥を見て力をもらった。

サン・サーンス作曲「動物の謝肉祭」のなかの「白鳥」。
静かで美しく、親しみやすいメロディ。
だれもが聴けば「この曲”白鳥”って言うんだ」というくらい有名な曲。
この曲はバレエで使われ「瀕死の白鳥」という題目で演じられる。

優雅な白鳥は死に瀕しても、
この曲「白鳥」のように静かで美しいと人が思うのは自然な心理だろうな。
死に様はその人の生き様を現すなんてよく人は言う。
コインをひっくり返してみるのも一つの方法。
どのように生きるか?
自分の生とは何か?
そんなことを考えるとき、死を意識することが多くなってきた。
そういう意味においては、
平均寿命にはまだ遠く健常な私ではあるが瀕死であると言える。
でも本当の瀕死の私はどんなもんだろうなあ?

ところで私はバレエ「瀕死の白鳥」を観たことがない。
このバレエについてちょっと調べると、
”白鳥が最期に死に行く運命に抗うようにはばたく”というようなことが書いてある。
私は静かに死を迎えるというイメージを曲から受けるので少し意外な気がする。

これはあくまでも私の趣味の話であるので気を悪くされる方がいたらごめんなさい。

瀕死の白鳥が記憶のなかで羽ばたいて水上を滑る。
よし。
そして最期に実際に白鳥が羽ばたくのはいいだろう。
だけどそれは死に行く運命に抗うのではない。
たった一回だけ。
ゆっくりと羽を上げ、ゆっくりと首を天に向かって伸ばす。
そして力と意思を込めて羽を振り下ろす。
それだけで十分。
運命を悟った白鳥は自らの意思で天に昇る。
優雅な白鳥、美しいメロディの「白鳥」にはそんな最期がふさわしい。
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2005年11月07日

小春日和(こはるびより)

今年もいつまでも暑く、なかなか日溜りで日向ぼっこなんていう感じではなかった。
容赦なく照りつける陽射にいらついて、
「あんたなんかいらないよ。どこかに消えておくれ。」
なんて罰当たりにもお天道様に毒づきたくもなった。
でもさすがにこの季節になってくると陽ざしがありがたく、
「お天道様。ぽかぽか陽気をありがとう。」と感謝したくなる。
お天道様の光のもたらすものは計り知れないものがあるけど、
それも程々のところじゃないと有難味を感じないし、生命として存在できない。
なんとも生命というのは頼りなく、いい加減なものだと思う。

「私達は大宇宙の銀河系のなかの、中心から外れにある太陽系の、太陽を中心として九つある惑星のうち内側から三番目を回っている地球に住んでいます。太陽は宇宙の星の中でも大きくもなく小さくもなく中くらいの大きさで、私達の住んでいる地球も惑星の中で大きくもなく小さくもなく中くらいの大きさです。」

子供のころこんな内容の文を読んで私は「なーんだ。つまんないの。」と落胆した。
地球とか太陽とかは宇宙の中心から外れたところにあるし、
地球も太陽も一番大きいわけじゃなく中くらいの大きさだなんて。
お日様とかお天道様とか呼んでいる太陽や、
自分にはとても広く感じる地球が、
中くらいの大きさでありきたりの存在なのがどうも残念で仕方がなかった。

太陽の寿命は約100億年。太陽ができてから約50億年。
地球上に生命らしきものが誕生してから約3億年。
そして夜空に輝く星の中でも、巨大で青白く輝く星の寿命は数千万年。
そんなところが今の定説だったろうか?
(誤っていたらどなたか訂正してください)
これらの年数から考えると、
大きな星の周りの惑星ではどうも生命は誕生しそうな感じがしない。
太陽が程々の大きさだったからこそ、
生命が誕生するまで光を放出し続けることが出来た。
太陽が程々の大きさだったからこそ自分がいるんだなあ。
そんなことを思う。

程々に、程々に。
私達のお天道様の周りはそのようにつくられているのかもしれない。
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2005年10月31日

霧(きり)

私が通っていた高校のある田園都市の周囲は、
秋から冬にかけて毎日のように霧が発生した。
駅を降りて学校まで30〜40分ほどの道のりを歩いて通っていたが、
霧の乳白色がいつもにも増して濃いときなどはとてもうれしかった。
霧を含む冷気を深呼吸したときの独特の香りが好き。
冷んやりとしてそれでいてどこか暖かさもあり、
微妙な質感をもって肌にまとわりつくのが好き。
日光をさえぎり周囲をモノトーンにして、
心を沈静させてくれるのが好きだった。
高校生だったこともあって、
よく将来のことを考えながら歩いていたと記憶する。
将来といえば、そのはるか向こうがどうなのか見渡すことが出来ない霧は神秘的で、
この霧を通って学校に着いたら普段とは違う日常が始まるんじゃないか?なんて、
超近未来に子供っぽい想像をしながら歩いたこともあった。
もしかしたら、神秘的なところが一番好きだったのかもしれない。

地味な会社に勤める私である。
バブルのときもそれが終わるまでその恩恵に浴しているとは気づかなかった。
終わってみれば、やはりバブルはあったんだなと思う。
その後の不況と社会構造の変化を経験し、
そして今上場企業のトップのほとんどが景気回復を意識している状態になったという。
先がどうなっていくのかなかなか読めない。

五里霧中。
そんな言葉が頭に浮かぶ。
バブルの最盛期のころ、私は二十代にして老後まで見通したように勘違いをしていた。
自分の会社の諸先輩を見て、三十代はこうだ・・・六十代はこうだ、老後はこうだ。
しかしその後の変化を体験した今となってはそんな絵の様な未来は信じない。
未来を信じて政治や経済で成功する人は五里霧中のなかで、
時代の潮流を読みながら一歩先を行く人なのだろう。
私にそんな能力はない。

先の見通しがつかず、自分の足元しか見えない。
そんな五里霧中のなかで高校生のときの通学を思い出す。
確実なのは自分の考えと行動だけ。
そのときの空気を深呼吸して、肌で感じて。
あまり先を考えず、自分の足元だけをみてゆっくりと進もうと。
情報があふれかえるこんな時代だからこそ、五里霧中という言葉を考えたい。
そんなことを思う。
五里夢中の人生。なんとも神秘的である。
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2005年10月24日

蓑虫(みのむし)

野菊のように小寒い風に吹かれながら凛としてただそこに在りたい。
そんなことを思う私ではある。
でも実際に吹く風が冷たくなってくると、
蓑虫みたいに暖かい衣を身にまとい、
ぶらぶらとゆりかごに揺られるように夢のなかで瞑想にふけっていられたらな。
なんてついつい楽なほうへ思いが行ってしまう。

枕草子より

蓑虫、いとあはれなり。鬼のうみたりければ、親に似てこれも恐しき心あらむとて、親のあやしき衣ひき着せて「今、秋風吹かむをりぞ、来むとする。待てよ」と言い置きて逃げて去にけるも知らず、風の音を聞き知りて、八月ばかりになれば、「ちちよ、ちちよ」と、はかなげに鳴く、いみじうあわれなり。


私の場合は父に置き去りにされたのではなく、私が父を置き去りにした。
だから「ちちよ、ちちよ」と鳴くことはない。
そのかわりに「ばーか」とつぶやく。

見舞いに行ったその病室に、父はいなかった。
ベッドの脇の整理用の引き出しをちょっと開けてみる。
奥のほうから出てきたのは何とタバコ。
これから肺癌の手術をするために入院しているというのに。
「だめな親父だなぁ」と思う。
しばらく待って戻らないので病室から出てみると、
エレベーターから骸骨のようにやせた父が見知らぬ人の車椅子を押しながらやってくるところだった。
ちょっと驚いたような、困ったような顔をして、
「やあ。よく来たなぁ。」と私に声をかける。
「この人ね、エレベーターでボタンを押しづらそうだったから。それから仲良くなったんだよ。」父が続ける。
「自分が骸骨みたいにひょろひょろになって、それでもこれかよ」
くるくる回る人のよさそうな瞳を見つめて思う。
形通りの挨拶をした後、残った親子は自販機のコーヒーを飲む間だけ、これまた形通りの話をして別れた。

父と話をしたのはそれが最後だった。
夕方から始まった手術は時計が翌朝を示す時間まで続いた。
手術室から出てきた父に医療スタッフが大声で呼びかけていた。
そして「ご家族の方も呼びかけてください」と言った。
私も父に呼びかけた。
そして父がちらっと目を開けて私のほうを見たような気がした。
私はそこで医療スタッフがまだ呼びかけているのに、それを後にして家路を急いだ。

ぽつり、ぽつりと母が語る父の話。
幼少のころの父の思い出。
成人してから何度か会った時の父への印象。
そんな様々なものが心の中で混じり合い、
それが蒸発して残った結晶が光りを帯びてくるのを覚える。
父とは様々ないきさつがあり、縁が薄かった。
幼少のころの記憶から父を嫌悪しているところもあった。
しかし今は結晶となって残っている父を思うと、自分はなんて父に似ているだろう?と思うようになり、
さらに今こそ私は父と生きているんだなあ、そんなことを思うようになった。

だから、私は「ちちよ、ちちよ」と鳴くことはない。
そのかわりに「ばーか」とつぶやく。
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2005年10月17日

秋の色(あきのいろ)

「秋の色」といって思い浮かべるのは、
色づくもみじの葉っぱ、たわわに実った柿の実。
刻々微妙に変化していく夕方の空の色。
そして小学生のときに歌った「赤とんぼ」や「まっかな秋」。
秋の色といえばやっぱり赤だなぁと思う。

まっかな秋のなかでも差し詰め好きなのが夕日の赤。
夕日と空と雲のコラボレーションで、
刻々さまざまな色彩をしめす光が共演を見せてくれる。
真っ青な秋の空も夕日の時分には多少あせてきて、それでもやっぱり青は青。
夕日の赤は一言で赤と言うのをはばかるような様々な色合い。
赤というよりはオレンジで、その濃淡も微妙に違う。
ピンク色に近い色彩を感じることもある。
それらの透明な淡いブルーと色彩を放つオレンジの光は、
互いに交じり合うことなく私の目に届く。
オレンジの光の向こう側からブルーの光が透けて見える気がする。
二色の毛糸で織り成す編み物の
それぞれの糸の色が決して交じり合わないように、
混じりっけを感じさせず純粋で淡いこれらの光は、
どれか一つが大きく自己主張することもなく互いの光を殺すこともなく、
それでいて一つ一つの光が私に主張して感動をもたらす。
この感動はなんだろう?
以前ちょっと分かったようなことを書いたかもしれないが、
今思えばやはり謎のままなのかもしれない。

「秋色化粧」という唄が昔あったけ。

君は君らしく感じれば綺麗だぜ
すこし秋色化粧して


私は化粧はしないけど。
夕日を見ながら、心に感じた「美」をいつも装っている自分でいられたらな。
なんてことを思ってみたりする。
posted by はまべせいや at 18:14| Comment(2) | TrackBack(0) | 季語に思う | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月10日

蛬(きりぎりす)

アスファルト上ですべての日常生活がまかなわれる毎日。
周りに土があることなんて全くと言っていいほど忘れている。
9月から確か去年の記憶では11月いっぱいぐらいまでだったろうか?
身の回りにむき出しの土が出ているところはやっぱりあったんだなぁ。
朝に夕にそんなことを思い出す季節を迎えた。
それを思い出させてくれるのはきりぎりすかこおろぎか?
この季節に鳴く虫たちである。
コンクリートジャングルの私の身の回りでも、
「どっこい生きてるんだよ」と主張する彼らに小さな賞賛を送る。
きりぎりすと言えば、「ありときりぎりす」なんていう話があった。
こんな話はいかがだろうか?

贋作「ありときりぎりす」

春とはまだ名ばかりで、薄ら寒い早春から額に汗し、
暖かくなってからは、なおいっそう額に汗し、
長雨の季節は流されないように、皆で手に手をとってありたちは働いた。
「寒い冬に備えて、食べ物をたくさん貯めておかないと」
真夏の太陽の下では真っ黒に日焼けするまで仕事をし、
秋の心地よい空を仰ぐことも無く仕事をした。

きりぎりすが生まれると、パステルの光に感動して思わず喜びの曲を奏でた。
花が咲き始めるとなおいっそう喜びを奏で、
長雨の折もしっとりと情感を込めて奏でた。
「今の気持ちを表現せずにはいられない。少しの葉っぱと朝露があれば何も要らない」
森に青葉が繁茂するころはその生命力に賛歌を奏で、
秋の澄んだ空を仰ぎながら天に届けと清らかなメロディーを奏でた。

やがて冬が来て。
ありたちは自分達の巣で有り余る食料に囲まれて過ごした。
一方きりぎりすは曲を奏でる元気も無く、枯葉の陰で震えていた。
「ああ。楽しかった。でももう少し生きていられればよかった。
この枯葉の布団を、次の風が運んだとき僕はきっと土くれになる。」
そう思ったとき、ぴゅうっと吹いた風が枯葉を舞い上がらせた。
こうしてきりぎりすはこの世から姿を消した。

ありたちはせっせと働いて、何回もの冬を過ごして繁栄していった。
ところが、ありたちは次第に「何のために僕たちは生きているのだろう?」
と疑問を持つようになった。
その疑問が強くなればなるほど、
昔きりぎりすという生き物がいたことを思い出すことが多くなってきた。
「きりぎりすは短い生涯だったけど、本当に幸せそうだった。」
古老のありから若者のありに伝承されるにつれて、
きりぎりすの生涯はありたちの憧れるところとなった。
こうしてきりぎりすは神格化されて、ありたちは怠け者になっていった。

冷たい夜露にぬれながら、最後の一匹になったありがこう言った。
「ああ。
あのきりぎりすの伝承さえなければ、
僕は今頃暖かな巣の中で十分な食べ物に恵まれて、
仲間達と次の春を迎えることができただろう。
でもそんなことにどんな意味があるというのだろう?
脇目も振らずにただ”生き延びるために生きる”なんて真っ平だ。
でもなんて儚いんだろう?
あのお月様が地平についたとき、僕の胸を貫いて息絶える事だろう。
さて?何が幸いだか本当にわからない。
せめて僕の胸を切り裂く短剣があんなに綺麗な三日月なのが救いだな。」
思った刹那、三日月が地平についた。
こうしてこの世からありもきりぎりすも消えた。
月明かりが消えた大地に、今夜も星々が光をそそいだ。
posted by はまべせいや at 16:33| Comment(2) | TrackBack(0) | 季語に思う | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月03日

秋の空(あきのそら)

大地に仰向けに寝そべってどこまでも高い青い空を見上げる。
ふう〜っと息を吹いて、一度閉じた目をゆっくりと開けていく。
高い空に吸い込まれてどこまでもどこまでも飛んで行きそうな気がする。
そんなひと時が幸福でとても大切に感じられる。

湯船に浸かってああ極楽と思うとき。
おいしい物を食べて幸せだなと思うとき。
やはりふう〜っと息を吹いて、上を仰ぎつつ一度閉じた目をゆっくりと目を開ける。

そのときの息は単に肺から吹き出る空気ということでいいのだろうか?
私はその説明ではちょっとさびしい気がする。
そのときの息は魂なのではないな?などと思う。
息を吹いた一瞬間のうちに魂は天に昇って、
次の空気を吸う一瞬間に魂が身体に戻ってくる。
天に昇った魂は何を見て、何を語ってくるのかな?
その時の思いを理性で取り出せたらいいななんて思う。

ああ人は むかしむかし 鳥だったのかもしれないね
こんなにも こんなにも 空が恋しい


これは昔の曲の歌詞。
秋の空を見上げるとき、
ふるさとが空だというのもあながちうそではないのかも知れないな、
そんなことを思う。

posted by はまべせいや at 18:16| Comment(4) | TrackBack(0) | 季語に思う | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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