2010年06月22日

山なし老人

どうやら道を間違えたらしい。これだけ歩けばそろそろ尾根に出て眼下にふもとが開けて見えるはずなのに。だらだら道の上り坂がまだ続いている。折からの雨。それだけならまだしも風が北側から吹き付けて、体温を奪う。どこか風だけでもしのげる場所があれば。重い足を引きずって日も暮れようというころ、薄暗がりに見つけた小屋に転がり込んだ。

目の前に佇んでいたのは一人の老人。「はてさて、こんなところに珍しい客人もあるものじゃ。」そう言ってぼくを迎え入れた。「せっかくじゃから、少し楽しませて進ぜよう。」老人はそう言うと一枚の白い紙を取り出した。「きみにとっては消えるということ。」そう言うと持っていた紙に息を吹きかけた。すると老人が持っていた紙が目の前で消えた。「じゃがわしにとっては裏表が入れ替わるということ。」そう言うと手のひらにふっと息を吹きかけた。すると老人の手にはいつの間にか黒い紙がつままれていた。「そんなことってあるじゃろうかね。」そう言った。

「まあ今のは震えながら足を引きずってここにたどり着いたきみには何の足しにもなりはせんな。」老人がそう言うと、今度はいつの間にか山なしの木が目の前に立っていた。老人は山なしの実を一つもぐとぼくに渡してこう言った。「きみにとっては一つ実がもがれて木が残るということ。じゃがわしにとってはその実をもぐことで木が全部なくなるということ。そんなことってあるじゃろうかね。」言い終わるか言い終わらないかのうちに山なしの木もろとも老人は消えた。

小屋の隙間から光がさして重い瞼をこじ開けた。いつの間に眠っていたようだ。するとおかしな老人との出来事は夢だったのか。そう思ったら胸にあてていた手から何かが転げた。山なしの実。考える余裕はなかった。のどの渇きと飢えと。ぼくは山なしの実にかじりついた。一かじりで渇きが癒え、もう一かじりで飢えがなくなり、もう一かじりで歩く力がみなぎってきた。山なしを平らげると、ぼくは小屋をでた。尾根に出る道を見つけるのはたやすかった。ふもとの村にたどりつくと何やら人が集まって忙しく動き回っていた。話によると、昨夜この村の長老が身罷ったということだった。そしてこんなことも聞いた。長老は最期に謎めいた言葉を残したという。「なくなるのはどちらじゃ。」

posted by はまべせいや at 04:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 黒の部屋 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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