2010年03月10日

愚者の喫茶店

窓から差し込む日の光は、いつも起きる時間よりも少し高くなり、眩しさを増しているようだった。自宅の布団の中なのは確かだが、まだ頭が回らない。今日は目蓋がすっきりと開くまで寝ていられるはず。重い目蓋を再び閉じる。布団を被り、寝返りを二度三度。何やら頭がかゆい。頭を掻いて、もう一度寝返り。えいっ。寝られない。こういうときはいっそのこと起きてしまって、陽気に当たればまた公園のベンチに座って眠気が催してくるものだ。そう思い立って、布団を出て着替えると上着を引っ掛けて外に出た。
穏やかに晴れ渡った休日の朝。日差しはまさに身体に染み込んで歩きながらにして、再び酔いと眠りに誘い込むようにぼくを包み込んだ。いつもの癖で上着のポケットの中身を確認するように手を差し込んでみる。ふむ。何か固くて四角くてざらざらしたものが入っている。カードのようだな。そう思って取り出してみる。それはまさしく使い古して擦り切れた厚紙のカードだった。若者が太陽を背に歩いている。上を向いているのだが一歩先は崖である。足元では犬が追いかけている。裏を見ると幾何学形に図案した蜘蛛が赤と黒で規則正しく並んでいる。そうか、きっとあのときのカードだな。でもどうしてぼくの上着のポケットなんぞに入っているのだろう。
昨晩は“いい加減”に飲んでいた。その帰り道に見つけたのが、珈琲の看板。そう言うよりは歩道に飛び出した古い木製の看板にしたたか肩をぶつけたのだった。癪にさわって拳固でぶん殴ろうとも思ったが、自分の方が痛い思いをしそうなので思いとどまった。肩の痛みが消えていくのを待ちながら、ふむ。コーヒーを飲んで帰るのも悪くはないな。そう思ってその店の扉を開けた。
扉を開けると床も壁もすべて木造りで二畳ほどもない空間を、三席ほどのこれまた木造りのカウンターがキッチンと客席を分けていた。明かりはカウンターに置かれたランプがあるきりだった。薄暗いカウンターの向こうから、「いらっしゃいませ。でも残念、もう閉店です。」という高い、でも落ち着いた感じの声。「えっ、閉店なの。おたくの看板のせいで肩を痛めたんだよ。ちょっとさあ、酔い覚ましに一杯くらい飲ませてよ。」ぼくは言った。「あら、それはお気の毒に。大きなお怪我はなさいませんでした。お詫びに一杯ごちそういたします。でも、その間私の占いに少し付き合ってくださいませんか。」ぼくがうなずくのを確認してコーヒーをたて始めた。
彼女の占いはカードを使うものだった。カードを切ってぼくの前に並べる。その指はしなやかで瑞々しく若い印象を受けた。頭の上から黒い布をすっぽりと被っている。覗いて見える顔には皺が刻まれているようにも見える。並べ終えると、「あなたは光を行くでもない、闇を行くでもない。あなたは永遠に留まるでもない、瞬時に消えるでもない。あなたは幸福になるでもない、不幸になるでもない。そう出ています。」彼女はそう言った。神妙な面持ちで彼女の言葉を聞いたが、なんだそれは、それでは何にも言ってないと同じことじゃないか、心の中ではそんなことを思った。
きっとあのときのカードだな。もらったわけでもないし、こんなもの取って来るわけもない。なぜぼくの上着のポケットに入っているのだろう。まあ気味が悪いから返したほうがいいな。一枚でもカードがなくなると占い遊びができなくて彼女も困るだろう。そう思って、喫茶店を目指した。なんのことはない。酒を飲んだいつもの帰り道。いまいましい看板がいつの間にかできていたんだ。ところが昨晩最後に酒を飲んだ店と家の間をいくら探してもいまいましい看板は見当たらない。迷い込みそうな路地も探してみたが一向見当たらない。午前中を歩き回って潰して、二日酔いも眠気もどこかに吹き飛んでしまった。

その後、一ヶ月くらいの間は上着のポケットに例のカードを入れて、飲んだ帰りや散歩の際にはいまいましい看板を探したものだが遂に見つからず。今では、以前紅蜘蛛便で来たぼく気付のQくんへの荷物の上に投げ出されている。

posted by はまべせいや at 04:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 黒の部屋 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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