2009年12月26日

愛すること、理解すること

分析するということは愛するということとは正反対の行為であるかもしれない。愛していないからこそ、さまざまに分析して人の心を読もうとする。無条件に愛しているからこそ、分析することなく人の心が理解できる。
「罪と罰」のラスコーリニコフの心を、なぜプリヘーリヤが、なぜソーニャが理解できたのか。それはプリヘーリヤが母だったからであり、ソーニャがもっと大きな意味での母の要素をもっていたからだ。そうした理解の仕方に是非は多かろうが、案外的を外してはいないものだと思う。

posted by はまべせいや at 04:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 「K氏」をたどる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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