2009年11月14日

現実は努力?

頭を叩かれて痛いと思う自分とか、欲求が満たされなくて良からぬことを思いついたり、立て直そうと思ったりする自分とか。そういう自分を現実のものとして捉えるならば、『困難は現実の同義語であり、現実は努力の同義語である』という言葉は、真実味を帯びてくる。
だが痛いと思ったり、良からぬことを思いついたり、立て直そうと思ったり、そうした自分を疑って疑い尽くして考えていったとき、“自由は現実の同義語であり、現実は思考の同義語である”とでもいうようなことに思い当たる。
思考するということによって垂直に離陸して、千メートル、二千メートルはおろか、何光年、何億光年と上昇することができるのだ。なんという自由だろうか。
しかしまた一方で、この自由を不自由に縛り付けていなければいけないという現実にも直面する。やはり現実はある意味で努力でもあるというところに帰り着く。
全うするとは、そのあたりの配合具合のことを言うのではなかろうか。

posted by はまべせいや at 04:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 「K氏」をたどる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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