2006年01月23日

ストーブ(すとーぶ)

達磨ストーブを実際に見たことがある人というのは、
ブロガーとしては高齢なほうであろうか?
先生や体格の大きな同級生が分担で石炭を教室に運んできていたような気がする。
三年生の冬から達磨ストーブが石油のストーブに取って代わった。
実際に達磨ストーブを使っていたころのストーブに対する記憶というのはあまりないのだけれど、
石油ストーブに取って代わられた後、
ずいぶんと長いこと校庭の隅に達磨ストーブが置かれていたことは思い出す。
使っていたころは大きく見えたストーブも、
成長していく私にとって日々小さな存在になって行き、
最後にはいつの間にか校庭から消えていた。

私の世代で脱脂粉乳を飲んだという人はごく稀だろう。
私の通っていた小学校は歴史が古い分、
かえって新しいものに取り残されていたのかもしれない。
しかしこれも三年生のときから、牛乳に取って代わった。
脱脂粉乳の記憶は、だるまストーブの記憶と違ってかなり強烈だった。
三年生になって初めての給食で、
脱脂粉乳のやかんのかわりに牛乳があったのでみんなが喜んだ。
あのにおいにはやはり皆が閉口していた。
おかずは量が多そうな器からなくなっていくのに、
脱脂粉乳の器は多そうな器がいつも残った。
先生はおかず・パン・ミルクとバランスをとって食べなさいというけれど、
私はそんなこととてもする気が無かった。
いつも一気にお腹のなかに流し込んで、パンやおかずで口直しという方法で飲んでいた。

私が入学したころはすべてが木造の校舎だった。
階段を皆で昇るだけでゆれたような気がする。
そんなあやしげな校舎もあったような記憶がある。
このことが変わっていくのもやはり三年生になってからのことであった。
三年生になってから五年生になるまで、
仮設の教室・木造の校舎・鉄筋の新校舎をめまぐるしく移動して、
五年生の二学期からどうやらすべての児童が鉄筋の新校舎に入ったと記憶している。
五年生の夏休み前の終業式の日。
この日もみんなで木造の古い校舎を掃除した。
この校舎も夏休みが終わったらなくなっちゃうんだね。
でもみんなで最後まで床をきれいに磨いてあげようね。
先生の号令のもと、みんなで最後まで掃除した。
台風一過の青空の下、気持ちいいねと言いながらみんなで掃除した校舎を見上げた。
何もかもが晴れ晴れしく感じた夏休みの始まりだった。

私が小学生だった時代はそんな時代であった。
学校の外でもどんどん便利になり、戦後が消え、鉄筋に囲まれていった。
功罪はあったかもしれないが、あのころは変化がそのまま成長に感じられた。
まあ昔を懐かしんでばかりもいられない。
我々はこれから子供らに何を与えていくのだろう?
そちらの方を考えていきたい。
達磨ストーブから思わぬほうへ話がいってしまった。
posted by はまべせいや at 17:39| Comment(2) | TrackBack(0) | 季語に思う | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
脱脂粉乳は1970年代まで使われていたというから
もしかしたらその最後の脱脂粉乳だったのでしょうか
不味い不味いという話はよく聞くけれど
私も飲んだことはありませんよ〜〜♪
(なんだこの音符マークは・笑)

2年生の頃、転校して山奥の小学校に
通っていたことがあったのですが
その小学校が木造2階建ての古〜い校舎でした。
達磨ストーブもありましたよ。

女の車掌さんの乗ったボンネットバスが
朝と夕方に 一日2回だけ走る
そんな田舎の村だったけど
脱脂粉乳ではありませんでしたね〜〜♪

と、いっても 実はその小学校
給食もなかったんですけどね。
各自 お弁当持参、な 位山奥でしたf^^;

ずっしりとした鉄の厚み・重みを感じる達磨ストーブも
木造校舎の せいやさんが最後に綺麗に磨いたという
贅沢に厚みのある板張りの廊下も
その質感がとても好きでした。
ついでに藁半紙のざらざら感も好きでした。

遊び道具は竹馬で 竹鉄砲とかも作ってました。
春には田んぼも 一面の蓮華畑に変わって
そこに大の字に寝っころがって
土と草の香りを満喫しました。

これから子供たちに何を与えていけるのか
板張りの床といっても 薄いベニヤの合板だし
ごわごわ感が温かい 綿100%の服も なかなかないし
せめて 素材の持つぬくもりを・・と思っても
余計にお金を出さないと手に入らない

自然とか 素朴な味のある物とか
そういうものの中で
人も自然の一部なんだという感覚でいられればいいけど
このままいくと
徐々に 人の延長線上は 機械、そんな風に
自然の枠の中から 外れてしまうんじゃないかな
なぁんて 大げさなことを考えてしまいました。

Posted by うさこ at 2006年01月27日 17:40
達磨ストーブやボンネットバスを実際に見たことがあるなんて、
うさこの姉御もかなりのなんていうか、
う〜ん、きているというか。
言わないでおこっと。

それにしてもボンネットバスって懐かしいなあ。
もっとも私の住んでいたところでは滅多にお目にかかることができず、
たまに見かけるとやったぁという感じでした。
車掌さんのいるバスからワンマンバスに替わっていく時代でもありましたね。

でもね。
自分たちでおもちゃを作って遊ぶのは廃れてきてたかな。
都会じゃないけど当時は地方で交通の要となる停車場に住んでいたので、
それなりに子供たちはおもちゃを持っていたような気がします。
もっとも遊び場は田んぼや田んぼを埋め立てた造成地、停車場の貨物置場や里山などでしたが。

自分の勉強する校舎に自分で手を入れて磨きを掛ける。
テストなんかも先生の手作り感あふれる藁半紙のテスト用紙。
何もかも自分たちで作っていくという感じでしたね。
自分で作らなくても買ってくればいくらでもある。
現代はとても便利になって、
それはそれでその分時間を有効利用できるのだから素晴らしいことだと思います。
でも忘れてはいけない大切な”何か”を、
ついつい傍に置いておきがちになってしまう。
そんな世の中でもあるのでしょうね。

Posted by せいや at 2006年01月28日 05:21
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