2006年01月16日

冬の雲(ふゆのくも)

入道雲もくもくの夏。
真っ青でどこまでも高い空にひつじ雲。
低い空に棚引いたようにかすむ春の雲。
春から秋までの雲のイメージというと、
大方こんなところで日本全国まとまるのかな?

さて。
冬の雲というとどんなイメージだろう?
これがなかなかイメージがわかない。
冷たい雨の降る日の真っ白な空のイメージくらいだろうか。
イメージがわかないということはどういうことか。
それは私が圧倒的に長い間、
冬晴れが何日も続く地域に住んでいるということだ。

でも冬晴れの地域でも注意深く空を見ていれば、冬にも雲はあるわけで。
私の会社から見る夕日は様々な条件から、冬が最も美しく見える。
その夕日も冬だからといって、雲ひとつない空に見るということは稀である。
水平線、地平線付近には霞のようなはるか遠くに見る層雲のような、
そんな雲が大体は見える。
その雲が夕日を様々に変化させて見せてくれる。
刻一刻と変化していく光は、いくら見ても飽くことを知らない。
なんとも贅沢な感じのする雲だ。

冬の雲と言われて、
鉛色で暗く低く垂れ込めた重々しい雲というイメージを浮かべるのは
雪国の人たちだろうか?
私も何回か雪国の冬を過ごした。
ついの晴れ間もあっただろうが、
晩秋から春先にかけて常に雲に覆われているような気がして気が重かった。
初めての冬はその他のこととも重なって、
現実的なことは何も手がつかない状態を過ごした。
こんなにお日様も拝めない状態で、
よくもみんな平然と暮らしていけるものだ。
そんなことを常に考えていた。

日本全国の都市と呼ばれる地域はどこも均一化され、
市街地の日常生活だけをとればほとんど地域性がなくなっていると言って
差し支えないだろう。
でも冬の気候だけは分かれる。
生まれてからずっと雪国の冬を過ごしてきた人たちは
日差しのほとんど感じられない数ヶ月を当たり前のこととして過ごし、
そのなかで子供の時分からその季節ならではの遊びで楽しむ。
冬を迎えるのにちょっとした気持ちの入れ替えが必要だ。
一方冬晴れの地域では風の無い日溜りにいれば、
真冬でも上着一枚で快適にいることができる。
雪国でいう本当の冬ではない。
冬だからこうだと言う意識は希薄で、
少し寒い秋をなんとなく過ごせばいずれ春がやってくる。
冬を迎える気持ちの入れ替えは不要である。

このことが二つの地域で生きる人々に与える影響というのは大きいだろうと思う。
冬を冬として当たり前に受け止めて、そのなかで季節に応じて生きてゆく。
そうして育った同世代の仲間を見て、
私は強さとしなやかさをもっているなと感じた。
光があり物体があれば必ず影ができる。
その影を見なかったことにしようというのでなく、自分で引き受ける。
引き受けた上でその影とうまく付き合っていく。
そんな強さとしなやかさ。
冬という季節を通して、自然に身につけてきたんだな。
そんなことを思った。
posted by はまべせいや at 17:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 季語に思う | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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