2005年12月12日

焼き芋(やきいも)

「焼き芋もらってきちゃったから、一切れだけど食べる?」
先日仕事中に、どこからもらってきたのかパートさんが焼き芋を配っていた。
資料の数字が合わずカリカリしていて手を出すのも面倒な感じだったのだが、
折角のご好意なのでそれに甘えて一切れいただいた。
急がし紛れにその芋を口のなかに放り込む。
すると、ほんのりと素朴な甘みが口のなかに広がった。
それと同時に、心の中に湧き上がるかのように幸福感が広がった。
実際その幸福感たるや驚きに値した。

奮発して目の前にご馳走を並べてそれを食べるとき。
リラックスして銘酒を飲むとき。
確かにおいしいと思うし、幸福感にも浸る。
ご馳走や銘酒は焼き芋よりもはるかにおいしい存在。
でも焼き芋を口のなかに放り込んだときの幸福感は、
ご馳走や銘酒のそれを凌駕していた。

どんなに甘い食べ物も、この焼き芋以上に甘くてはいけない。
これ以上に甘みの薄い食べ物も味気ない。
私はそんなことを思った。
何の飾りもなく素朴なもの。
そんなものが人の気持ちを優しくし、幸福感に満たしてくれる。

情報が多すぎて、得てしてそうした情報に目を向けすぎてしまう。
そこにあるのは過剰に飾り付けを施した幸せ。
そういうものとついつい比較したくなってしまう。
比較する自分は不幸である。
過剰に飾り付けを施した幸せを手に入れても、
それはどうも虚飾の味わいにしか感じられない。
どこかしらよけいな媚のようなものを感じるとともに、
何かが欠けているような、そんな気がする。
落胆して後ろを振り向くと、もっと幸せをもたらしてくれそうなものが...。
情報に目を向けすぎているうちはその繰り返しである。

素朴な焼き芋の甘みに原点を感じた。
そう。原点。原点なのである。甘さの原点に触れた。
そんな気がしたとき、カリカリしていた自分自身もふと原点に戻ったような気がした。
自分自身の原点って何だろう?
原点に回帰したと感じたときに湧き上がる幸福感というのはなんだろう?
不思議な幸福感の余韻に浸りながら、半日仕事をした。
そして窓の外が茜色に染められるころ、再び口のなかに焼き芋の甘みがよみがえった。
posted by はまべせいや at 17:51| Comment(2) | TrackBack(0) | 季語に思う | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
待ってました

夜の犬の散歩が好き
堂々と外をぼんやり歩けるから好き
暗い中、考え事とかしながらぼんやり歩いてたら急に明るくなった
さっきまで見えなかった自分と犬の影が出来た
見上げたら、途切れた雲の間に歪んだお月様
雪もゆっくり降っていて
なんだか少し、ふぁっとした気持ちになりました

子供たちの焼き芋も少しずつだったようです
けれどとてもおいしくてとても楽しかったようです
焚き火での、焼き芋

あぁ、わたしも焼き芋食べたいなぁ
自然の甘さは、自分の中の自然にも染み入りそうですね
凌駕しつつも心地よい甘さ、幸福感に、わたしも触れたいです

舞台は成功しました
公演終了
長い時間何度も何度も練り直し悩んだおかげで
舞台に立って初めて完全燃焼しました
悔いがないのです
今回は計画的に増やしたセリフ以外のアドリブを一切使いませんでした
アドリブ好きなわたしにとってそれは逆に、言葉以外の表現をいつも以上にこだわるという挑戦でした
それで得た笑いや拍手がとても嬉しかった
余韻の味は『無』に近かったです
来年もま舞台に立ちます
どうもありがとう

すてきな記事でした
Posted by キュプラ at 2005年12月12日 19:12
焼き芋の味。
案外そんな素朴で、ありきたりと思えるものに、
触れることが珍しくなっているかもしれません。

歩くって不思議ですね。
何かを思いながら歩いているうちに
自然と心が静かになってきて落ち着いた気持ちになっている。
心の中の様々なものが一度かくはんして舞い上がり、
それが次第に前と違った形で沈殿して、
残った上澄みがとても透明感を持ったような。
”人間は考える葦である”なんて言葉があったけど、
私は”人間は考える足である”と言いたいぐらいだと思ったことがあります。

キュプラさんが暗いなかを歩いて急に明るくなったときの月と雪の光は、
とても澄んでいたのでしょうね。
きっと心の表層の上澄みのように。
そうして幾度かかくはんしているうちに
様々な思いの心の置き場所が決まってくるのかもしれません。

舞台成功やったぁ。
でも私は信じてました。舞台の上でキュプラさんが輝くのを。
なるほどアドリブや言葉で表現する以上に、
台本どおりに演じる中で、役でありながら役以上の何かを表現できるものなんですね?
新しい境地を開いたみたいで。よかったですね。

何かに成功したときって、
はじめから自分で組み立てて計算しつくされていたような、
でもそれでいて自分でやったんじゃなくて”なにか”の後押しがあったような。
不思議な感じで。
計算されていたから驚きや興奮はないし、
かといって今までの自分を超えてしまったという感嘆というようなものを感じて。
よかった、よかった、よかった。
としみじみと心から感謝のようなものがわいてくる。
キュプラさんの余韻の味の「無」というのはそんなところかな?と思います。
舞台の神様が、舞台の悪魔を追い払ってくれましたね。
舞台が大好きなキュプラさんだから、きっと舞台も味方してくれたのでしょう。
来年も舞台で輝いてください。
Posted by せいや at 2005年12月13日 05:54
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