2010年11月13日

赤肉を噛みしめて

歩きながら憶えた道順や景色から、自分の頭の中に地図を作ってゆくということ。その地図を読み解いてゆくということ。
ただ歩くという自分の行為のなかに自らをゆだねて、そこで自分に起きる現象に浸るということ。その浸り加減を紡ぐということ。
日常というのはおそらく前者のような行為に包まれながら、後者のような行為がちりばめられて成り立っている。その配合割合をどの程度にするのか、気を配っているわけではあるが、建設指向に強いているときは後者のような行為はどこかに揮発してしまう。
そうしたときどういう思いでいるかというと、霜降りの肉の夢を見ながら、脂っ気の全く無いバサバサの肉を噛みしめているという思いでいるのである。

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2010年11月03日

渡りに船

フレデリック・ショパンにはジョルジュ・サンド
羽柴秀吉には本能寺の変
アレクサンダー・フレミングには青カビ

こういうのを渡りに船というのかな。

ぼくにとっての渡りに船は、静かな部屋と暖かな布団

さて、ソクラテスにとっての渡りに船とは何だったのか。
プラトンはその出世作でソクラテスを英雄のように描いているが、ぼくはソクラテスというのはかなりの食わせ物のように感じる。
“英雄的”な行為というのは、すべてが“英雄的”な動機によるものではないのだろうな。
そういうのがこの場合あてはまるような気がする。


posted by はまべせいや at 05:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 黒の部屋 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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