2010年08月31日

故郷はどこ

自分という森のなかに棲む虫とはなにか。境界は思っている以上に曖昧なものだ―忘れた感覚。そういうことを想起させること、もの。ぼくにとっての故郷のエッセンスというべきもの。それは生まれ育った土地に行っても出会えないかもしれないし、今歩いている街中で出会えるかもしれないし。そういう類いのものだ。ここに行けば必ず故郷のエッセンスに出会えるという場所を、ぼくは特定できない。

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2010年08月29日

滑走路

赤トンボは群れになっていてもぶつかることはなく、気持ちよさそうに飛んでいる。あたかもそれぞれの極楽を謳歌しているかのように。
居酒屋のカウンター席に座る。ママのお酌に始まり、天気の話、近況報告。次第にカウンターが埋まってきて、つまみも出てきて、お通しもあらかたなくなり。さて二、三杯目あたりになると、あいつどうしたから、ニュースの話題、趣味の話題など、ママやバイトの子なども混ざって、カウンターに話の花が咲く。杯を重ねるうちにカラオケが始まり、艶話なども出てきたりして、居酒屋の夜は更けてゆく。
そのじいさんは、いつも自分のボトルを見つめてひっそりとほほ笑んでいる。あたかも極楽を謳歌しているかのように。ぼくはその笑顔を見るのが好きだ。ほかのお客さんに話しかけられた時の笑顔がまたいい。ぼくはそのじいさんとまともに話したことはないが、そのじいさんの横で飲んでいると羽が生えた気分になる。
さて、居酒屋の風景から無駄なものをそぎ落としてゆく。最後に残るのは、なに。

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2010年08月26日

実りへ

これはありきたりなことと、どれだけのことを実行せずにただ埃のように堆積させてきたか。新しくて気の利いた方法を探すよりは、そのあたりを点検する方が実りが多いはずである。

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2010年08月23日

ありきたりな過程

ありきたりなことを積み上げるから、ありきたりでないところに近づくのであって、ありきたりでないことを求めても、それでは求めるだけで終わる。実行するとはそういうことだ。
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2010年08月21日

風のおと

ジャーでは重すぎる。シャーでは単純すぎる。ルルーではきらめく感じが足りない。いったいぼくは・・・。先ほどからそんなことだけが、ぐるぐると廻っている。そういえば自転車が惰性の乗り物だとは、だれから聞いたのだっけ。あまりにも平坦で。あまりにも真っ直ぐで。ぼくが起こした風だけに包まれているものだから。たとえば、ビー玉をかき混ぜる音。たとえば、トンボの飛ぶ羽の音。たとえば、・・・。
ベートーベンは・・・、
作曲をした。
聴覚を失って、なお。
どこに、あったか。どこから、きたか。
リールとはよく言ったものだ。りるりるりるりる。やっぱり違う。もう着いちゃった。その先の岸辺まで行きたかった、のに。



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2010年08月18日

お手伝い

中学三年生の時の国語の先生。「きみたちも受験生になって、ほかの教科の先生たちは受験のためのお手伝いをしているようだけど、国語もやって欲しいか。」そうみんなに聞いた。どんなことをやるのだろうと思ったけど、受験のためならという空気がクラスにあって、先生に“お手伝い”をしてもらうことになった。先生がみんなに与えた課題は、毎日の新聞のコラムを切り抜いて、それをノートに貼って、要約と感想・意見を書いて提出し、先生が点検するというものだった。そんなことで受験に効果があるのか疑問があったということだけ憶えていて、いつごろからいつごろまで続いたかすら憶えていない。でも今では、これは国語の受験のみならず、もっと幅広く実りをもたらものだと思っている。受験の国語でいい点数を取るためだけでなく、受験が終わってもある程度の期間、若いうちに続けていればもっと“鍛錬”されたものをと、少し悔いが残る。
心がけ次第でいつからでも始められ、ずっと続けることができる。そして鍛錬のためになる。そういう方法を与えるということが、ほんとうのお手伝いということなのかも知れない。

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2010年08月15日

小春の予感

そよ風にほころぶ―影
まぶしくて
何もかもにほほ笑んでいた
春の記憶
気まぐれな風に静止したり壊れたり
凝視して、見失って
定めのように踊っていた
夏の記憶
しみ渡る風に透きとおる
いとおしみ
ひとしずくがすべてと知った
秋のキオク
風絶えて揺らぐことなく
引き込まれて
ぜんたい、肌に感じる
もう木枯らしが吹こうとも
決して失うことのない
小春の予感
凍てつくときを静かに見守る

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2010年08月12日

ぼくが溶ける

「自分は何者なのか。自分以外のなにものにもよらずに“絶対の自分”というものを定義してみよ。」そのように発語したとき、あれこれと考えて結局戻ってくるのは、「そもそもの問題を“発語したもの”が自分として最も疑わしくない。自分は“発語したもの”である。」と考えざるを得ない。さてそれでは、“発語したもの”がいなければ自分はいなかったのだろうか、それともやっぱりいたのであろうか。自分は“発語したもの”によって作られたとも考えられるし、“発語しなかった”自分がやっぱりいたのだと考えることもできる。これは自分を見る面によってどちらも正しいことに思える。そしてついには、“発語したこと”によって自分が溶解していくのがわかる。

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2010年08月11日

昆虫の知覚

葉蔭にじっと止まって越冬していた蝶が、たまたまの陽気に飛翔する。その冬の蝶が知覚しているだろうこと、そのことを想像するとぼくは広大な夢をみる気持ちになる。そして乳児のころには当たり前だったであろうその知覚に埃を積もらせて生きてきたのだと、これからもそうして生きていかざるを得ないだろうと、そのように思い直して、広大な夢をみる気持がしぼむのである。

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2010年08月08日

けむり、けむり、けむりが覆う
ひかり、ひかりを遮断して
いざなう、いざなう
呼吸を忘れた部屋
おや、そこに棲むものは

私はひかりが苦手なもので
こうした状況でなければなかなかお会いできません
でも、今棲みついたわけではございません
ずっとお慕い申しておりました
あなたにいかに楽にやり繰りしていただくか
それが私の使命でございます
何なりとお申し付けを

さてはとは思えども
軋む脊髄は、重みに耐えかねて
いぶす、いぶす
呼吸を忘れた部屋
おや、なにを蝕む

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2010年08月05日

閉じられた棲家

完全に閉じられたと観念したのなら、見るべきものだけを見ればいい。そこにはゼロが無限になり、無限がゼロになる。1がゼロになり、ゼロが1になる。そういう世界が開かれている。そういう世界でのことなのだから、ただ風と重力に任せて舞う木の葉のように自分の有り様など心もとないものだ。そこには、そうした自分を苦笑しつつ見つめる“もの”が確かに在る。

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2010年08月02日

ほっこりの心理

大人同士の会話で存在を忘れていて、「あれっ、そういえば子どもはどうしてたっけ。」と思って探すと、部屋の隅の方で一人でおとなしく遊んでいる。近づくとぷうんと臭いが。おむつを開けると案の定ほっこりと。結構よくある話だ。部屋の隅で隠れるようにしていつの間にかウンチをしている。これはどういうメカニズムによることか。心理メカニズムによるところが大きいと思えるのだが。心理メカニズムによるとしたらその心理は生のままの心と言えるのだろうか。そもそも生のままの心とはどういうことか。心理とはなかなかつかみどころのないものだ。

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