2010年01月30日

独創はどこ?

自分のふつうをすべて通して生活するということの困難さは誰しもが経験することだろう。また世間のふつうと同じようにやろうとしても、自分はどうしてもこうなってしまうというようなことも多くの人が経験するのではないか。こうしたことをうまく表現すれば、それが独創であり、なにも突飛なもの珍奇なものを求めなくても、独創とははじめから自分の内にあるはずのものである。

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2010年01月27日

運動法則

水平運動に指向するか、垂直運動に指向するか。それは個人の嗜好の問題だ。水平運動に指向する人は垂直運動に指向する人に対して何もやらないと指摘する。垂直運動に指向する人は水平運動に指向する人に対して何も考えないと指摘する。どちらが偉いどちらが優れているというわけではないが、互いにかわいそうな異人種くらいに思っている。ただ水平運動に指向する人の圧倒的なエネルギーで人類は繁栄してきた。そしてそのことがある意味での軋轢を生じさせているのは確かなようだ。

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2010年01月25日

ほとりにて

乾いた荒地に種を蒔いていた
子供のころから蒔いていたというのに
あごひげが真っ白になったいまも
どんな芽が出るのか分からないという
そのうち芽が出る年回りもくるだろうさ
そう言って笑っていた
あくる年に通りかかったときのこと
遠目から一面黄金色に彩られているのが目に付いた
白ひげの老人の姿はどこにも見えず
ただ黄金色の穂が、ようこそ、ようこそと
天を指して揺れていた

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2010年01月23日

主観・客観

摂氏十度とか摂氏三十度とかというのを客観というのだろうか。寒いとか暑いとかいうのを主観というのだろうか。それならば外気温摂氏十度の状況で走ったら“暑かった”というのは主観だろうか客観だろうか。外気温摂氏三十度の状況で発熱して“寒かった”というのは主観だろうか客観だろうか。暑いと感じている、寒いと感じている自分がいる。そういう物言いは主観だろうか、客観だろうか。
青い空を見て志を新たにする人もいるはずだし、志を手放す人もいるはずだ。その心理の過程を自ら分析して語るというのは、主観だろうか、客観だろうか。
自分の“存在”を自ら語るというのは、主観だろうか、客観だろうか。


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2010年01月20日

ともだち

裏山で遊ぶのが好きだった。獣道のような細い道を登って、お宮の裏手から少し道をはずれて一段と高いけやきの木を目指して歩く。するとそこには小さな池があって、そしてぼくと同い年くらいの少年が遊んでいるのだった。その少年は物知りでいろいろな遊びを教えてくれた。暑い夏なのに不思議と冷たくてのどを潤してくれる草とか、落ち葉をひっくり返して遊ぶゲームとか、クワガタがたくさん取れる洞とか、絶対に近づいてはいけない洞とか、雲のかたちや風の向きや匂いで天気を知る方法とか、木の上でゆったりと横になる方法とか。数え上げればきりがなく、その少年と遊んでいると瞬く間に二番星、三番星の時間を過ぎて、家につくころにはもう数え切れない星が輝いている時間になっていた。

勉強もしないですぐに遊びに行ってしまう。学校の友達と遊んでいるのでもなさそう。帰ってくるのはいつも無数の星が瞬く時間。家業に追われて忙しかった母もさすがに不審に思ったようだ。ある日ぼくがランドセルを置いて裏山に出かけようとすると母は言った。「待ちなさい。学校から帰るといつもすぐに遊びに出かけて、遅くなるまで帰らないんだから。いつもどこでなにをやっているの。」「裏山で友達と遊んでいるんだ。」ぼくは答えた。「友達って、隣のあきちゃん、それとも時計屋のしんちゃん。」さらに聞いてくる母に「ううん。近所や学校では見かけない子。きっと隣の小学校の子だよ。」と答えた。母はなにやら考えた後「今日はその子に会ってみたいから、お母さんも連れてって。」そう言った。

いつものお宮の裏手からけやきの木を目指して歩いていった。そろそろ着くはず。そう思ったらさっき後にしたお宮が見えてきた。あれっ、道を間違えたかな。もう一度けやきの気を目指して歩いていった。もうそろそろと思ったら、あれっ、やっぱりお宮が見えてきた。もう一度。もう一度・・・。何回お宮を出てお宮に帰ってきたのか。ぼくも母も疲れ果ててしまった。ついに母は怒り出した「けやきの木のそばの池なんて全然ないじゃない。男の子も見つからないし。もういいわ。とにかくいつもこの山で一人で遊んでいるのね。」そう言うなり帰ってしまった。母が帰った後もぼくはなんとか少年に逢おうと歩いたけれど、暗くなるまでいくら歩いても同じところを廻っているだけのようだった。

あくる日、ぼくは家に帰るとそっとランドセルを置いて、家族に見つからないように一目散に裏山に駆けて行った。いつものお宮の裏手からけやきの木を目指して歩いていくと、果たして池のほとりに少年が佇んでいた。けれどもいつもと違う。なんだかしょんぼりした感じで、うつむいて、きらきら輝く池の水面をじっと見つめていた。いつもはぼくの足音を聞いただけで駆け寄ってくるのに。少年の肩に手を掛けると、はっと気が付いたようにぼくを見つめた。そしてこう言った「ごめん。ぼく遠くに行かないといけないんだ。でもそれはほんとうに遠いところじゃなくて、ほんとうはとっても近いところなんだ。でもやっぱりきみには、もうぼくは見えないんだ。」言っていることが分からなかった。なにも言葉を返せずにぼくは少年の目を覗き込んだ。涙に滲む少年の目にぼくが映っていた。ぼくの涙には少年が映っていた。交互に見比べた。どっちがどっちか分からなくなった。混乱した。そして、すっと少年の涙が消えたかと思うと、目の前にきらきらと池の水面が輝いていた。眩しい。そう思ったところで目が覚めた。

夜明け前。まだみんな寝ていた。ぼくは寝床を抜け出すと、パジャマのまま突っ掛けを履くと、けやきの木を目指した。月明かりにまばゆいばかりにきらきらと池の水面が輝いていた。どこからか声が聞こえた。「やっぱりきみは来たんだね。この輝きはずっときみのものだからね。」少年の姿は見えず、声もそれっきり。あたりは次第に明るくなって、池の輝きは周りの光にとけこんでいった。朝の鐘が鳴った。みんなが起きる前に帰らないと。ぼくは家に帰るとまた寝床にもぐりこんだ。

それ以来ぼくは家に帰ってから少しだけ勉強をやるようになった。隣のあきちゃん、時計屋のしんちゃんと遊ぶようになった。あのお宮の近くで。池のほとりのけやきの木にはたどり着けなくなった。あの少年には・・・。だけど月明かりに照らされた池の輝きは“残って”いる。いまだにぼくの一番の話し相手。

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2010年01月18日

事務所を後にする前に

真っ白な壁が褐色に染まってゆく
やがて壁は下から剥がれ落ち
一つの角が形を失って傾いた
そしてもう一つの角がガクリと崩れた

スプーンをカップに沈めると
数回かき回してカップを口に運んだ
なぜ砂糖を入れるような
そんな気まぐれを起こしたのか
この摩天楼の事務所を閉める“ハレ”の日に飲む
最後の極上の一杯にわざわざ砂糖を入れたのか

すべては計算され尽していた
自明なはずだった
買収するたびに資産は増え配当は増え

なぜ砂糖を入れたのか
まったくの計算外

カップのコーヒーを今度は
たっぷりとゆっくりと口に含む
ここ数日決断するまでに芯のようにできた頭の塊が
穏やかにとけていった

ショックは一瞬にして世界を駆け巡った
こんなに強くこんなに速くとは
その原理を使っていたのは他ならないこの自分

底に角砂糖の残ったコーヒーを飲み干した
そして事務所を後にした

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2010年01月16日

青宵(東山魁夷)

ぼくが生まれる以前から、ぼくが死んだその後も
ぼくが吸い込む空気にも、ぼくが吐き出す空気にも
たまに吹くそよ風に揺れる湖水のように佇んで
ぼくの記憶は刻まれている
きみはそんな記憶があるということを思い出させてくれる

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2010年01月13日

二つの招待状

ぼくはパーティーの招待状が入った白い封筒を持って歩いていた。同じような封筒を持った人々と肩を並べて、会場まであと少しでたどり着くというところで出遭った古めかしい黒マントの男。「きみを特別なパーティーに招待しよう」と言って、ぼくに茶色の封筒を無理やり押し付けた。なかに入っていたのは「終わりを知るためのパーティーへの招待状」だった。なんだかあやしい。けれども少し面白そう。白い封筒に入っているのは「幸福になるためのパーティーへの招待状」だった。あやしいのはこちらも同じ。そしてこっちはありきたり。ぼくは白い封筒を捨てると、「終わりを知るためのパーティー」への会場を目指すことにした。けれどもぼくは、いまだに会場にたどり着けないでいる。招待状には、場所はあなたが探してくださいということと、日時はあなたが到着したときですとだけ書いてあるばかり。他には小さな銀色の軽金属の薄い板が入っていた。どういうつもりでこんなものを入れたのか、うすぼけたぼくが映るばかり。招待状は茶色い封筒とともにぼくの胸ポケットでよれよれになって忘れられ、ときどき何気なく胸ポケットに手を突っ込んで金属の板の角で指を突っついて思い出す程度になってしまった(いったい招待状は今なお有効なのか?)。白い封筒のパーティーに行った人々は、それなりの幸福を手に入れたようだ。けれどもただひとつだけ、“終わり”が怖いらしい。ぼくは人々から幸福そうには見えないらしい。けれども“終わり”は怖くない。なぜなら“終わり”がどういうことか、ぼくは知らないのだから。

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2010年01月11日

砂の謡

大河のほとりで飽きもしないで
一握りすくってはもう片方の平で受け止めて
こぼれ落ちる砂の謡に耳をたむける

一粒の種子を芽生えさせて
茎を伸ばして葉を茂らせて
千の種子を実らせた
そうして実らせた種子は数知れず
多くの人々を養い街は栄えた
かつて大地と呼ばれていたころの物語

やがて一粒の種子から実るのは
百に減り十に減り
多くの人々が飢えてさ迷い去ってゆき
町並みは砂に埋もれていった
今でははぐれた旅人が来るばかり
辺境の砂漠と呼ばれるまでの物語

大地と呼ばれる力を失った砂の謡
大河のほとりの月の光のように
曇りなく包み込み染み透り
むしろ旅人を
たどり着いたという気持にさせるのだった

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2010年01月09日

やさしい男

ほめるところがなかなか見つからない男に対して、大抵の女は「やさしい」と言うようだ。だがそういう場合に「やさしい」と言われる男の心根には、本当の“やさしさ”とは対極をなすものがあるということは、言っている当の女が見抜いているように思う。彼には母親の目の色だけしか眼中になく、他のことに気を回せないというような、親の愛を信じることのできない幼児のような心根がある。

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2010年01月06日

因果

自分の脳天の髪の毛を把にして掴んで、そのまま遥か彼方に引っ張り上げようとする。結果は髪の毛が抜けておしまい。そういうことを何度も繰り返した結果が禿なのだ。そうした学説があったとも聞くし、なかったとも聞く。もしないとすれば、ぼくがこの学説を唱える第一号だ。必ずや証明されるであろう。

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2010年01月04日

ランナー

うつむき しおれて ちからなく

今しも鼓動が口から飛び出さんばかりに激しく
脚は伸びないばかりか引き摺り加減
気力だけで腕を腰の位置で振る
握り締めているものを、いっそ捨ててしまおうか

かがやき みつめて りんとして

ただ一つのもの、確信しか目の前にない
ますます伸びる脚を大地が後押しをする
腕はごく自然に体勢を保たせ、確信を橋渡しする
ぼくは蒸気機関車、疲れを知らない

ささやき はげまし あたたかく

それは喜び、それは勇気、身体を廻る力
伸びる脚がその先の大地を掴まえて身体を引っ張る
腕は握り締めたものを顔に近づける
思いを最後まで運び届ける

突然駆け寄った少女
小さな花束を手渡した
花束を握り締めてのゴール
ぼくの一着

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2010年01月02日

肴に思う

誰かの笑顔につながっているかもしれない消費と、誰かを食い尽くすことになる消費と。二種類の消費があるのだろうなと。激安店のミックスナッツをつまみながら、そんなことをとりわけ強く噛み締めた。
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正月

あけましておめでとうと、A happy new yearが
王朝絵巻のころから同じ時期なのはなんだか不思議
南半球の人たちは正月の時期に違和感はないのかな

子供のころは亀の歩みみたいにやって来たのに
いまではアキレスの疾走みたいにやって来る
生命がぐっとこらえて萌え出ずるときに備える季節
だけどお日さまは北半球に戻ってきている
やっぱりお祝い事をしたい時期

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